昔、友だちがいたという小さな幸福

佐野洋子さんの『友だちは無駄である』という本があるんだけど、その解説のタイトルがとてもいいのだ。
「昔、友だちがいたという小さな幸福について / 亀和田武」
昔、友だちがいたという小さな幸福……これだけでもう良さがわかると思うんだけど、解説文も良いので引用しておく。

 あれほど仲の良かった、お互いを必要としていた友だちも、一人また一人と遠去かっていく。別に喧嘩をしたわけではない。お互いに仕事や家庭のことに時間をとられるようになったり、環境が変わったり。もしかすると、性格も変わったのかもしれない。もちろん相手だけではなく、私も。そうやって、いつのまにか距離ができ、気がつくと会わなくなって何年もがたっていた。
 そんな彼らのことを、ときどき思いだすことがある。そんなとき、少し寂しく感じるようになったのは最近のことだ。でも彼らの顔を思いだすと、うれしい気持ちになることの方が多い。懐かしさが、じんわり身体に浸みとおってゆく。もう私の手の届くところにはいない、昔の友人たち。しかし彼らが私のかけがえのない友だちだったことを私は忘れていない。彼らと友だちだった。その思い出があるだけで、私はちょっとだけうれしい気持ちになることができる。-p222

引用元: 「昔、友だちがいたという小さな幸福について / 亀和田武」
『友達は無駄である』佐野洋子

もしかすると私は、子どもの頃いつまでもいつまでも分かれ道の曲がり角で友だちと喋りつづけたあの頃や、いつまでもいつまでも長電話をしていたあの頃が急に恋しくなってアプリでもう一度あの頃を再現できないかと願っているのかもしれない。

アプリを開けば堂々と顔を晒しながら「舐め犬です」だとか「話早い人がいいです」だとか「セフ募」だとか書いてる人ばかり連続して出てくる。
そんな私も何度もNO側にスワイプしてるくせに、もう悲しい思いはしたくないだなんて欲張る。会って、また一度きり。もう無理なのかもと諦めつつも希望を捨てきれず夜中の2時にやっぱりアプリを開いてしまう。
ああ切ない。人って難しい。自分が難しいだけなのかも?

きっと私とおんなじように、藁にもすがる思いでやっている人がきっとこの世界のどこかにいるはず。
そんなことを思いながら、多分みんなもスワイプしてるに違いない。希望は捨ててはいけない。恋人よりも、友だちが欲しいoyumiでした。

Text/oyumi
記事初出:2021.09.27