別れと終わりの受け入れ方 「父の葬式」で感じた新しいはじまり

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 25年も続いていた男性アイドルグループの皆さんが解散されるようですね。
私は特にファンではなかったので「あ、そうなんだ」というくらいですが、
新聞は一面を飾るし、ニュースでもたくさん取り上げられていて、私と世間のズレのようなものを感じたニュースでした。

 一緒にしては失礼ですが、そのちょっと前には天皇陛下の生前退位希望のニュースもありました。
象徴としての職責を果たすことが困難になってこられたとのことで、経済活動やその他諸々に配慮し、生前に退位して皇太子様にその職責を代わってもらいたいとのことでした。

 オリンピックも終わり、永六輔さんが亡くなり大橋巨泉さんが亡くなり、ザ・ピーナッツのユミさんも亡くなり。
今年の夏は私にとって、終わりというものを強く感じさせる季節でした。

 終わりについて。それは寂しいことのように思えますが、意外と私は嫌いではないです。
終わりはひとつの節目で、そこからまた新しい何かが始まるというように考えているからです。

 千葉県育ちでラテン気質の私は、新しい何かが始まるということをあまりマイナスに捕らえていません。
あと、双子座のせいか、飽き易く、新しいことが好きな性分です。
思えば父親の葬式の時でさえも、笑顔こそ浮かべなかったものの、すっきりとした気持ちになったのを覚えています。

お葬式のもう一つの意味

 お葬式は故人を偲んでお別れをする場でありますが、
遺族が顔を揃えて、お世話になっている方々にこれからもよろしくお願いしますという挨拶をする席でもあると思っています。
私も精進落としの席などで、お酌をして回ったり、料理や飲み物、お坊さんの手配に忙しく、バタバタして、しんみり故人を偲ぶ時間がほとんど無かったことを記憶しています。

 別れや旅立ちはいつも突然で、慌しくて、十分な準備がないからそわそわします。
その感覚が私は嫌いじゃないのです。

 クラブでやるショウも、定番のものをやっても良いはずなのに、新作をどんどんやってみる癖があります。
そのドキドキやアドレナリンが出る感覚が好きなのです。
手探りで何かをしている時って、生きてるって感じがします。