人間は本能のとおりには生きられない

東京大学准教授・出口剛司先生 東京大学准教授・出口剛司先生

――さきほど「承認をめぐる闘争」という言葉がでましたが、承認欲求を満たしたいというのは、人間が元々持っているものなんでしょうか。

そうだと思いますね。ただ、承認欲求が異常に高まる社会的背景と、そうじゃない背景が結構あって、やっぱり今は承認欲求が高まる、顕在化する時代だと思います。

――FacebookやInstagramといったSNSが影響しているのでしょうか?

それもありますし、価値観が多様化してきて、人生に正解がないっていうのが一番大きいでしょう。昔は、男性の生き方、女性の生き方、それぞれ手本となる生き方がすでにあって、それに即していけば現実的にも失敗しないし、心理的にも安定することができた。

ところが今は何をやっても、その結果は全部、自分に振りかかってしまいますよね。
社会が安定した生き方や価値観の見本を見せてくれないので、自分の心の居場所があるという感覚をもつためにも、友だちや彼氏とか彼女といった身近な人の承認がすごく大事になってくるんです。

――身近な存在からの承認が、自分の拠り所になっている、と。

たとえば60年代の若者たちは、「権力と闘ってる」とか、「これが平和だ、正義だ!」とか、抽象的な理念のために生きることによって、同時に、心の居場所を得ていたのかもしれない。でも今は、それでは誰も生きている実感がもてないですよね(笑)。そうすると、いつも顔を合わせてる友達や仲間の存在がすごく大事になってくるんです。

――友だちや恋人もそうですし、職場での自分の立ち位置とか…自分が本当に価値のある存在なのか不安になってしまうのはよく分かります。

それには2つ背景があると思うんです。まず、さきほど言った、居場所がない時代だということ。だから、恋人や家族、友人など、自分がそこにいていいんだっていう居場所がほしいと思ってしまう。
そして、社会の変化が激しいから、自分の生き方に自信や確信がもていないということ。だから居場所を与えてくれる場をもとめてしまうんだと思います。

現代は競争社会の論理を自分の評価として内面化してしまっているので、業績とか、認められるもの、社会に役に立つものを常に生産し提供していないと、存在価値がなくなるという恐怖があるのでしょう。本来はそういうことに関わりなく「承認」は与えられるはずなんですけどね。

――では、本来は「承認」を求めなくてよいものなんでしょうか?

うーん……。本来というか、時代が変わればということですね。いつの時代も人間っていうのは承認を必要とするんです。なぜかというと、人間は本能が壊れてしまっているので、つねに自分で決断して判断して、生きていかなければならないからです。

――本能が壊れているとはどういうことでしょう?

そうですね…猫って誰に教えられることもないのに、ご飯食べたら顔洗うじゃないですか。でも人間は、ご飯の食べ方、トイレの仕方、挨拶の仕方、言葉、何もかも学習していかないといけない。つまり、本能のとおりにはもう生きられないということなんです。

常に自分で物事を判断して、学んで、生きていかなければならないから、自分のやってることが正しいかどうか、意味があることなのかを常に問われるんです。そうすると他人や社会からの承認が必要になってきますよね。

――なんか仕方なく感じてきますね……。

そうですね。だから承認を求めて生きていくということを前提にして、恋愛も人生も考えていかないといけないですね。

人間に承認関係はつきもの。時代によってそれが欲求として激しく高まるときと、沈静化してるときがあって、今はすごく高まってる時代なのかもしれないですね。

【後編につづく】

Text/AM編集部

出口 剛司(でぐち・たけし)
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。
主な著作:『エーリッヒ・フロム――希望なき時代の希望』(新曜社)、『〈私〉をひらく社会学』(共著、大月書店)、最新刊に『私たちのなかの私――承認論研究』(アクセル・ホネット著・訳、法政大学出版局)がある。

次回は <日本が初めて直面した「関係性をつくる」ことが難しい今/東京大学・出口剛司先生(後編)>です。
「愛はお金で買えるのか?」…現代を生きる私達が悩み続けた難問に、「承認」「排他的な関係」「居場所」「欲望」「本能」などをキーワードに答えてくださった東京大学の出口剛司先生。インタビューの後編では、承認欲求にまみれた社会で生きやすくなるための方法を伺います。