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  • 2017.10.12

愛はお金で買えるのか?居場所のない時代に私たちが欲しいもの/東京大学・出口剛司先生(前編)

「ホス狂い」や「港区女子」。その存在が私たちに問いかけるのは、「愛はお金で買えるのか」という難問です。私がお金を払うときに満たされたり、すり減ったりしているものは何なのだろう。東大で社会学を教える出口剛司先生にお話を伺いました。

 ホストに多額のお金を貢いでしまう「ホス狂い」や、ギャラ飲みと称してタクシー代をもらう「港区女子」の活動がSNSで話題になっています。彼女たちもそうですが、極普通の恋愛からも、お金は中々切り離せません。
私たちは、お金のやり取りを通じて、愛や承認欲求を満たしているのでは? という推測から本特集がスタートしました。

『〈私〉をひらく社会学』『エーリッヒ・フロム――希望なき時代の希望』などの著書がある東京大学・出口剛司先生に「愛はお金で買えるのか?」についてお話を伺いました。

「愛」はお金で買えるようで買えない

東京大学准教授・出口剛司先生
東京大学准教授・出口剛司先生

――出口先生には、お金と愛の関係性や、承認欲求の高まりについて伺いたいと思います。
まず、「愛をお金で買えるか?」は昔からいろんなシーンで見聞きしますが、その結論というか納得できる言説にはたどり着いていない気がして。

なかなか興味深い、永遠のテーマですね(笑)。
私が愛について語るのは口幅ったいんですけども、買えるといえば買えるし、買えないといえば買えないと思うんです。

――どういうことでしょうか。

そうですね、人間と人間の「交換関係」について考えてみるといいでしょう。たとえば、モノの売り買いでは、何かほしい商品があれば、それにふさわしい貨幣を支払わないといけないですよね。そういった「何かが与えられたら、それに等しいお返しをする」という人間関係のルールを、社会学では「互酬性の規範」と呼びます。

  すべての人間関係は、何かをしてもらったら、どこかで必ずお返しをしないといけないという原理で動いているので、そういう観点から見ると、愛もお金の関係も同じ「互酬性の規範」といえます。

――では、愛はお金で買える、交換できるということでしょうか。

たしかにお金で買えることもあると思うのですが、ただやっぱり本質的に違うところが一つだけあるんです。
まず「愛」の場合は、告白や婚約、結婚といったあなたとしか関係はもちませんという「排他的な関係」を約束することで成り立ちます。あなた以外に換えがきく存在がいない、ということですね。

 それに対して、お金を支払うことでサービスを提供してもらう「財」の場合は、お金を持ってきた人が誰でも等しく交換できることが条件なんです。「あなたにだけ売る」、では経済は成り立ちません。「常にお金を出した人が買える」、「承認を独占できる」という状態なわけです。つまり、財の交換では「排他的な関係」は保証されません。これが、「愛」と「お金」の本質的な違いですね。

「お金」で買えるものは、いくら高額のお金を支払っても、それより多くのお金を払う人が出てくる可能性を排除するのが難しいのです。

――なるほど。この問題は「愛」と「財」、定義の違う交換の素材をもってくるからややこしいんですね・・・。

人間は、先ほど話したとおり、恋人も家族も、経済の取引も、贈与と返礼が等しい「互酬性の規範」で成り立っています。そして重要なのは、単なるお金の交換なのか、「あなただけに」になされる排他的な関係なのか、の違いです。
たとえば、お父さんが「家族のために」一生懸命働いて家にいれたお金や、恋人が時間や労力をかけて「あなたのために」選んだプレゼントは、「愛の証明」になる。一方、ただお金を家庭に入れるとか、ただプレゼントを買う場合は、財の交換になります。

――愛が買える、買えないのレトリックはここにあるわけですね。

お金そのものは交換の道具にはなるけれど、あなただけに提供するという「排他的な関係」には持ち込めない。これらが、愛がお金で買えるようで買えず、買えないようで買える、という理由になると思います。
そういうふうに考えてみると、お金と愛の関係は少しクリアになるんじゃないでしょうか。

その欲望は、本当に自分が望んでいることか認識する

東京大学准教授・出口剛司先生
東京大学准教授・出口剛司先生

――しかし、お金では「排他的な関係」に持ち込めないのに、ホスト狂いのように多額のお金を貢いでしまうのはなぜでしょうか。

ホストの世界には特殊な部分があると思うので詳しいことはわからないのですが、ホストに通う女性が本当にホストからの愛や承認がほしいかというと、私は違うような気がするんです。むしろ、そのホストの周りにいる大勢の女性の中で、「自分が1番になりたい」という欲望が大きいような気がします。

――たしかに一番ホストに貢いでいる女性を「エース」と呼ぶシステムがあります。

ホストに振り向いてもらえれば、他の女性、他のファンたちの羨望を買うことになりますよね。「他人があなたに屈服し、あなたのことを羨ましがる」、つまり「承認をめぐる闘争」に勝ったということを意味します。

 これは女性に限らず、アイドルも、港区女子もそうなのかもしれませんが、お金を支払っているのはただホストに振り向いてもらうためではなく、心の底で本当に求めてる別の承認の欲求があるからかもしれません。それがホストのうまい仕組みになっているのかなって思いますが。

――AMで実施したアンケートでも、「そういう仕組み」「偽装恋愛だ」と認識はしているとのことでしたが、分かっていても、どんどんお金をつぎ込んでしまう要因は何があるのでしょうか。

そうですね。社会学だと「アディクション」と呼びますが、ある種の依存症でしょうか。アルコールにも、恋愛にも、ギャンブルに対しても起こることがあります。

 依存症にはまってしまう仕組みは、「満足」と「不安」を同時に経験することです。「満足」のみを追求しようとするのですが、相手がホストの場合、本人も振り向いてもらえるのは「お金」ということをうすうす自覚している。だから満足を追求すると必ずそこに「不安」がつきまとい、その不安を打ち消すためにまた「満足」を追求する、というスパイラルに陥ってしまうんです。

――「満足」と「不安」の繰り返しですか…それはしんどいですね。

おそらく、ホストや依存しやすいものに不健全にはまってしまう人は、そのアンビバレントな気持ちを常に抱えてしまうんだと思います。たとえホストで得る承認関係は嘘だと知りながらも、日常生活の辛さや不安を打ち消すために、楽しいホストの世界にのめりこんでしまう。
それに対して、健全にはまる人は「これはお金で私が設定した場面だ。ここから一歩出れば、私には別の生活があるんだ」と割り切って遊べるんだと思うんです。

――不健全にはまらないためにはどうしたらいいでしょうか。

本当にそれが自分の欲望なのか、と認識することです。
おそらくホスト通いにハマってしまう人は、他のファンたちの欲望を自分の欲望として抱え込んでしまい、それを自分が率先して実現することで、ファンの羨望を買うという快楽に陥っている。
つまり、他の人たちが欲望していることを、自分の欲望として実現したという構造になってしまうと不健全になってしまう。それがホストや依存しやすいものにはまっていく人と、「これは遊びだから」とどこかで割り切れる人の違いなのかなと。

人間は本能のとおりには生きられない

東京大学准教授・出口剛司先生
東京大学准教授・出口剛司先生

――さきほど「承認をめぐる闘争」という言葉がでましたが、承認欲求を満たしたいというのは、人間が元々持っているものなんでしょうか。

そうだと思いますね。ただ、承認欲求が異常に高まる社会的背景と、そうじゃない背景が結構あって、やっぱり今は承認欲求が高まる、顕在化する時代だと思います。

――FacebookやInstagramといったSNSが影響しているのでしょうか?

それもありますし、価値観が多様化してきて、人生に正解がないっていうのが一番大きいでしょう。昔は、男性の生き方、女性の生き方、それぞれ手本となる生き方がすでにあって、それに即していけば現実的にも失敗しないし、心理的にも安定することができた。

 ところが今は何をやっても、その結果は全部、自分に振りかかってしまいますよね。
社会が安定した生き方や価値観の見本を見せてくれないので、自分の心の居場所があるという感覚をもつためにも、友だちや彼氏とか彼女といった身近な人の承認がすごく大事になってくるんです。

――身近な存在からの承認が、自分の拠り所になっている、と。

たとえば60年代の若者たちは、「権力と闘ってる」とか、「これが平和だ、正義だ!」とか、抽象的な理念のために生きることによって、同時に、心の居場所を得ていたのかもしれない。でも今は、それでは誰も生きている実感がもてないですよね(笑)。そうすると、いつも顔を合わせてる友達や仲間の存在がすごく大事になってくるんです。

――友だちや恋人もそうですし、職場での自分の立ち位置とか…自分が本当に価値のある存在なのか不安になってしまうのはよく分かります。

それには2つ背景があると思うんです。まず、さきほど言った、居場所がない時代だということ。だから、恋人や家族、友人など、自分がそこにいていいんだっていう居場所がほしいと思ってしまう。
そして、社会の変化が激しいから、自分の生き方に自信や確信がもていないということ。だから居場所を与えてくれる場をもとめてしまうんだと思います。

  現代は競争社会の論理を自分の評価として内面化してしまっているので、業績とか、認められるもの、社会に役に立つものを常に生産し提供していないと、存在価値がなくなるという恐怖があるのでしょう。本来はそういうことに関わりなく「承認」は与えられるはずなんですけどね。

――では、本来は「承認」を求めなくてよいものなんでしょうか?

うーん……。本来というか、時代が変わればということですね。いつの時代も人間っていうのは承認を必要とするんです。なぜかというと、人間は本能が壊れてしまっているので、つねに自分で決断して判断して、生きていかなければならないからです。

――本能が壊れているとはどういうことでしょう?

そうですね…猫って誰に教えられることもないのに、ご飯食べたら顔洗うじゃないですか。でも人間は、ご飯の食べ方、トイレの仕方、挨拶の仕方、言葉、何もかも学習していかないといけない。つまり、本能のとおりにはもう生きられないということなんです。

 常に自分で物事を判断して、学んで、生きていかなければならないから、自分のやってることが正しいかどうか、意味があることなのかを常に問われるんです。そうすると他人や社会からの承認が必要になってきますよね。

――なんか仕方なく感じてきますね……。

そうですね。だから承認を求めて生きていくということを前提にして、恋愛も人生も考えていかないといけないですね。

 人間に承認関係はつきもの。時代によってそれが欲求として激しく高まるときと、沈静化してるときがあって、今はすごく高まってる時代なのかもしれないですね。

【後編につづく】

Text/AM編集部

出口 剛司(でぐち・たけし)
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。
主な著作:『エーリッヒ・フロム――希望なき時代の希望』(新曜社)、『〈私〉をひらく社会学』(共著、大月書店)、最新刊に『私たちのなかの私――承認論研究』(アクセル・ホネット著・訳、法政大学出版局)がある。