今回は、小説家・コラムニストの中村うさぎさんに、ご自身の体験を踏まえて、「依存と甘え」についてのお話を伺いました。
第3回は、「依存」との具体的な付き合い方についてお聞きしています。
第1回「甘え下手な優等生キャラは得しないが男に縁がない訳ではない」、第2回恋愛のドロ沼にはまる唯一の価値は”最も愚かな自分”に出会えることも合わせてどうぞ!
どこからが依存かというと「執着したら」
執着はたいがいが愛ではない
―前回、依存は醜い自分と出会うという点では必要な部分もあるというお話でした。
では、次は依存とはそもそも何なのか? 具体的にはどんな付き合い方をしていけばいいのか? ということを中村さんの経験を含め、お聞きしたいです。
手首を切らないまでも、甘えから依存のようになってしまう女性は多いと思うのですが、そういう人はどうしたらいいと思いますか?
中村うさぎさん(以下敬称略):まず、甘えと依存は地続きなんですよ。
ただ、甘えぐらいならよくても、依存となると面倒くさくなる。
どこから依存かというと、「執着したら」。
「その人がいなければ自分は生きていけない」、「その人がいないと自分は何もできない」とかそういうことになってしまったら依存ですね。
その依存の本質である「執着」は、「愛」ではないんですよ。
「愛してるから電話がほしい」、「愛してるから一緒にいたい」と、たいがい言うんだけど、それは愛じゃないので、ちゃんと自覚した方がいいと思う。
相手に過剰に執着してしまうのって、自分のことを好きすぎるからなんですよ。相手を愛してるんじゃなくて、自己愛なのね。
「私を放っておかないで」、「私の全てを受け入れて」、「私を背負って」とか。
それってすべて結局は「あなたじゃなくて、自分を背負ってほしい」という、エゴイズムやナルシシズムの問題でしょう。