マイ写経で、黒歴史を「ただの文字」になるまで供養しよう

 しかし、アフター5にお寺は閉まっているでしょうし、ひとたび家に帰って手元に経文がある人はそう多くありません。
だいたい、俗世のことを忘れるのにお経でなければ集中できないというのでは、真の修行にはならないでしょう。

 そこで私は、自分だけの「マイ写経」をすることを提案します。

 失恋したときに中毒のように繰り返し聞いたJ-POPの歌詞、元カレからもらった別れの手紙、中二病をこじらせていたときに書いた恥ずかしい日記、などなど……。
自分の心のササクレをひっぺがし、カサブタをかきむしるような「黒歴史」にランクインする「ダーク経文」を、あえて自分の手で写経するのです。

 きっと最初は、筆を持つ手がふるえ、呼吸は乱れ、字はミミズのようにねじれることでしょう。
ナムアミダではなくナミダをともなう写経、それが「マイ写経」です。

 しかし、「コンソメ」という字をずっと書いていると「ユンソナ」に見えてくるように(そういえばユンソナって今どうしてるんでしょうか)、「ラフ」という字をずっと書いていると「うつ」に見えてくるように、そこに書いてある文字がゲシュタルト崩壊を起こしはじめたら、しめたもの。

 あなたにとってつらい意味を持つその文章が、書きうつすうちに、意味のないただの「文字」として感じられるようになったとき。
そのときこそ、あなたはつらい過去から解き放たれ、煩悩を振り払うことができたということになります。

 まさに写経。まさに修行です。

 ここで、「最後に自分の好きなところと嫌いなところを10個ずつ挙げて、それを写経しましょう」とか言い出すと、途端にうさんくさい自己啓発っぽくなるので、くれぐれもそういうことはしないように。
ポジティブでもネガティブでもない、ニュートラルな境地に自分を持って行くことができれば、それでいいのです。

 いま、ここにいる自分の状況を肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ受け入れることができたなら、あなたはもうイルミネーションきらめくクリスマスの街に単身乗り込んでも大丈夫。
ムダに死にたくなったり、人を妬んだり羨んだりする必要はなくなるはずです。
そして、今できるあなたの幸せを謳歌して、心からこう叫んでください。

「吉牛、サイコー!!!」と。

…あ、もちろんこれはたとえ話なので、本当に叫んだら変な人だと思わ……とにかく!

一人の人も、友達と遊んだ人も、恋人と過ごした人も、家族といた人も、
休みの人も、仕事の人も、生きてる人も、死んでる人も、人じゃなくても、
今日の残りの一日、あまねくすべてのみなさんに、どうかどうか、ハッピー・メリー・クリスマス!

Text/Fukusuke Fukuda