「精液」はケガレの存在?それとも我慢で仙人に?時代によって異なる捉え方

勝川春章『股庫想志春情抄(まくらそうししゅんじょうしょう)』寛政七年(1795年)頃 国際日本文化研究センター所蔵

「精液」の価値観は時代や場所により、様々な捉え方をされてきました。江戸期の春画で精液が描かれるときは、どこか「おマヌケで笑えるオトコ」といったイメージがつきまといます。

時代や地域によって、対象の捉え方に違いがあることは皆さまもよくご存知だと思います。それは身体そのものや身体的機能も同様です。時代や場所により文化的、政治的、宗教的、経済的に意味づけられたことで、「精液」の捉え方が時代や場所により異なり、その行動にも変化がありました。

長生きするために気を溜める

『医心方(いしんほう)』は平安時代の宮廷鍼博士であった丹波康頼(たんばやすより)によって記録された医書です。その第二十八巻目「房内」には性技法が書かれています。この技法にはすでに散逸されたとする様々な古代中国の幻の房中書(性生活における技法を記した書物)が引用されています。その内容を知ることで、古代の中国の精液の捉え方、古代中国の皇帝と後宮で生活する多くの女性たちの性の営みを垣間見ることができます。

この書物の内容で注目すべきことは、房中術の最終目的は後宮の女性たちと気持ちの良いセックスをすることではなく、「長生きと不老不死の仙人になること」です。その仙人になるステップのひとつとして“気”を溜める、というアクションがあります。つまり仙人になるためには、射精を我慢して精気(せいき)をできるだけ体内に留め、さらに外部より気を取りこみ、いかに身体にその気を巡らせることが重要なのです……と、ここまで書いていてなんだかスピリチュアルな気分になってきたのですが、日本に現存する書物にも記されているのですから驚きです。自分の精気が体外に排出しないよう射精を我慢するのですが、その我慢の方法として『医心方』にはこのようにあります。

交接して、大いに興奮して、出したくなったら、急いで左手の中央の両指で陰嚢のうしろ、大孔の前を押さえる。はやる心を抑え、長き気を吐き、歯を数十回噛む。気を閉ざしてはならない。こうすれば、精を与えようとしても、精液は出ないのである。

そもそも精液(精気)を惜しむのであれば、女性と交接しなければよいのでは? と思ってしまうのですが、道教の房中術では、数多くの女性と交わることで女性から精気を取り込むことが可能と考えられていました。ですから射精を我慢しながらも、女性と交接はするべきだったのです。射精を我慢するあまり歯を食いしばりすぎて、古代中国の皇帝の奥歯にヒビが入ってなかったかと心配になります。

この射精を我慢することは、ひいては多くの女性を後宮に囲む皇帝が体力を温存しながら、多くの女性とセックスにいそしむ効率的な方法だったのではと考えられています。そしてそれは皇帝直系の血統を絶やさないことにも有効であったため、この房中術が有用とされていたのです。しかし射精を我慢して精気を惜しむことで、最終的に不老長寿の仙人になれると考えられていたなんて信じられない話です。

スケベ絵巻を見ながら発射 月岡雪鼎『艶道日夜女宝記(びどうにちやじょほうき)』明和元年(1764年)頃 国際日本文化研究センター所蔵
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