りんの玉は高級品

わたしが入手した「りんの玉」は江戸期のものではなく、明治期に販売されたものと考えています。出品者の方によると、京都の色街だった五條楽園の元遊郭からの出てきた品であり、明治頃に祇園薬房という店で販売されていたようです。

りんの玉の起源は定かではないのですが、古代中国で似た品が存在し、明治以降になっても店で販売されていた長い歴史のある性具です。りんの玉の値段はいくらだったのだろうかと気になりネットで調べていると、「東都 四ツ目薬房 妙薬珍品目録」という紙が古書店で販売されていました。

東都 四ツ目薬房 妙薬珍品目録

目録には江戸期から存在した精力増強薬(材料不明)の「長命丸」や男根に巻いて使用する「ひごずいき」、明治期から性病予防具として本格的に普及したサック(コンドーム)などの商品が掲載されています。この中に「りんの玉」も商品として並んでいました。

りんの玉

桐箱 上製 一圓
二個入 特性 一圓二十銭

所謂(いわゆる)嫁入 七ツ道具の一ツ、花柳界、粹人間に稱讃(しょうさん)されてゐる品、その微妙なる珍音は正に士氣を鼓舞するに充分なものであります。

この目録を出した四ツ目薬房の住所は東京市牛込区なのですが、牛込区という区が存在したのは明治11年(1878年)から昭和22年(1947年)で、現在この範囲は東京都新宿区の一部となっています。仮にこの目録が昭和9年頃のものだとしたら、当時の給与生活者の妻の平均月収入は1円72銭、夫の平均月収入は86円12銭です。この頃のコンドーム1ダース(12個入り)の値段が1円という記録があり、目録のサックの金額と類似します。そう考えると、目録にある「りんの玉」が二個で1円という金額は決して安くはなく、お金に余裕がある人の嗜好品だったのでしょう。

買えないなら代用品で楽しむ~りんの玉をつくってみよう~

江戸期においても性具は贅沢品でした。性具を買えない人向けに、性典物では性具の代用品の紹介や手作り方法が掲載されていることがありました。「りんの玉」の代用品として手軽なものだと果物の金柑が紹介されることがありますが、凝ったものだとこのようなものがあります。

葛飾派『陰陽淫蕩の巻(いんようてごとのまき)』国際日本文化研究センター 左下に「りんの玉」の代用品

江戸期に出版された書物『陰陽淫蕩の巻(いんようてごとのまき)』によると、左下の図のように麩(ふ)をふたつ組み合わせてカンピョウで固く結んだり、麩を引き延ばしてねじれば「りんの玉」の代用品が即席で作ることができるようです。

麩を縛るとすぐに麩がブチブチ千切れるのでは? 本当にこんな挿絵みたいにうまく出来るの? という疑問があったので再現してみました

麩をカンピョウで緊縛します

水でふやかした麩と茹でたカンピョウを用意して麩を縛り上げていきます。
これが面白いことに、けっこうな力でエイヤ!とカンピョウ縛りをしても麩は全然千切れません。ふたつ麩を重ねても面白いくらいに縛れます。

挿絵みたいにできた!

完成品はご覧の通り、挿絵のように麩を抱き合わせてカンピョウで縛ったり、麩ひとつをクビレができるくらいに縛りあげることができました。さすがに小さい麩ではねじって引き延ばすことはできませんでしたが、大きな麩なら可能かもしれません(巨大なりんの玉になってしまいますが)。

読者の皆様はぜったいに金柑も麩も下の口で食べないでくださいね。

わたしは出汁に少々の塩と醤油を加えて吸い物にして、上の口でいただきました。

「りんの玉汁」です。麩がつゆを吸ってモチモチ、カンピョウがコリコリと歯ごたえがよく、これはいけます「りんの玉汁」。

性具の歴史について書こうと思ったら、最終的にわたしの昼飯の汁ものの話になりましたが、おそらくこれを読んだ方々はおそらく「りんの玉は高価な歴史ある性具だが手作りすれば美味い」と学べたのではないでしょうか。

Text/春画―ル

待望の書籍が3/31に発売!

わたし、OL。推しは、絵師――美術蒐集はお金持ちだけの特権ではない。
美大に通っていたわけでも、古典や日本史が好きだったわけでもない「わたし」が身の丈に合った春画の愉しみ方をユーモアたっぷりに伝える。自分なりの視点で作品を愛で、調べ、作品を応用して遊びつくす知的冒険エッセイ。個人所蔵の珍しい春画も多数掲載。