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もし江戸時代にコンドームがあったなら?根拠のない8つの避妊法/春画―ル

江戸時代の避妊法や性病予防

春画 渓斎英泉《地色早指南(ぢいろはやしなん)》

春画や江戸時代の性文化を発信する活動をしていると、当時の避妊方法や性病予防について聞かれることがしばしばある。

現代ならばパートナーが変わるごとに性病の検査へ行き、女性はピル(経口避妊薬)を飲み、同衾すればコンドームを着用することぐらいは可能だ。海外の避妊方法には、身体に貼るシールタイプや注射タイプもあると聞き驚いた。

しかし、江戸時代の避妊方法はどのようなものだったのだろうか?

結論を言うと、当時の避妊方法は現代の感覚から見て根拠がないものばかりだ。性病のまん延も問題で、梅毒は江戸時代でも深刻な問題だった。そして、避妊方法も女性の職業や金銭的豊かさなどに大きく影響される。

「当時は性がおおらかだった」と良いとこばかりにクローズされることもありますが、それは言い換えると「より生と死が身近だった」ということではないか。

わたし、春画―ルが、資料や書籍から知り得た江戸時代の避妊方法は、以下である。

1.湯で洗う
2.膣に紙を詰める
3.唐皮(虎の毛皮)でできた避妊具で男根を覆う
4.性具で亀頭を覆う、または、雁部分を締めつける
5.女性器にお灸を据える
6.経口避妊薬の朔日丸を飲む
7.行灯の火を灯すための灯心を飲む
8.アナルセックス

江戸時代の避妊について触れられている本は見かけるのだが、避妊方法がまとまっている記事はなかなかないので今回のコラムはレアだと思います。

1.湯で洗う

春画 春画―ル所蔵

江戸での男女比は圧倒的に男性が多く、幕府は風紀や秩序の乱れを防ぐために私娼を撲滅し、公娼制度を整えていった。吉原の他の遊里を「岡場所」といい、千住、板橋、内藤新宿、品川はその代表的なものであった。地方にはもちろん遊廓や飯盛女(日本の宿場に存在した私娼)もいて、各地に売春を生業としていた女性は存在していた。

女郎(遊廓や宿場で性的サービスをする女性)は客と同衾した後にトイレに行き、湯で膣を洗浄し、次の客のところへ行く。これは避妊の他に前の客の精液の痕跡を消去するためでもあったようだが、この「湯で洗う」方法は、葛飾派の《陰陽淫蕩の巻》の中に掲載されている「大勢の男性に乱暴され射精されたときの対処法」に登場する。湯で腰から尻にかけて洗い流せば膣のなかの精液がでてくると書いてあり、洗った後は薬を飲み、養生することを勧めている。お湯で洗ってもダメだよ~涙! と時空を無視して湯洗い中の女子に教えてあげたいくらいには心配になる話である。

2.膣に紙を詰める

春画 暁鐘成《偶言三歳智恵(ほかんさんさいぢえ)》

この膣に紙を詰める方法は、女郎が生理のときにも客をとるため、客の精液が膣の奥に入り込まないようにするために行われていた。詰め紙のたたみ方は、一枚の紙をよく揉み、四角に小さく畳んで程よく丸め唾で湿らせ、上の図の右側のように膣に押し込む。男性器を挿入すると客はその存在に気づくので、嫌な客や情が湧かない相手にはあえて詰め紙をいれ、好きな相手やお金を羽振りよく払ってくれる客には詰め紙をせずに同衾したようだ。

では、なぜこの「詰め紙方式」が生理中にも重宝されたかというと、江戸時代は生理になると、紐と半紙を用いて経血の漏れを防ぐ当て物を作っていた。しかし当て物は半紙でできており、厚めにしてもすぐに経血が浸みてしまうため、生理中の女性は活発に動くことができず、とても不便であった。女郎がこの「詰め紙法」を行っているのを知った女性たちは、当て物を何回もつくる必要がない便利さに惹かれ、紙玉をつくり、膣に挿入する方法が広がったようだ。

しかし、使用する紙は奉書のような上質なものではなく、漉き残しが多くある低級な紙と考えている。わたしが持っている江戸時代の本にも再生紙を使用しているものがあるのだが、その紙にはひとの髪の毛がびっしり残っている。もしこのような低級の紙を膣に挿入したとしたら不衛生極まりないが、明治まで続いたそうだ。

さて、「詰め紙方法」は下の図のように春画でけっこう見かけるのだが、女性の膣からは事後を表す記号のように性器から紙がはみ出ている。好きな相手と交わった後に膣に残った分泌物や精液を処理するためであり、避妊のためだったかは定かではない。ちなみに下の絵の男女は夫婦であり、事後のまどろんでいるところである。ふたりの幸福そうな顔にこちらまでニコリとしてしまう。

春画 葛飾北斎《つひの雛形(つひのひながた)》
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