足の指が赤い縄でつながったふたりは結ばれる

春画 歌川派《粹蝶記(すいちょうき)》

掻巻(かいまき)に包まれ、貝鍋をつつくふたり。これは「粹蝶記(すいちょうき)」という話の挿絵です。

わたしとあなたの身の上はどういうふうな仲なんだろう。前世からの約束に違いないね」

「想い想いし念力が届いてこのようにふたり、心置きなく夜も昼も楽しむのはいっそ、もう嬉しい嬉しい」

美少年の「菊弥」と、大家のお妾である「お大の方」との許されざる恋を描いた話なのだが、この話に「赤縄」という言葉が出てくる。

「赤縄」はみなさんが知っている「赤い糸」のこと。なんと江戸時代からもあったのだ。

「小指についている赤い糸で結ばれたふたり」と聞けば、多くの方がロマンチックな想像をするだろう。しかしそれは糸ではなく縄であり、小指とは足の指を指す。つまり、「足の指に結ばれた赤い縄でつながった運命のふたり」。

文化人類学者である渡辺信一郎氏の『江戸の女たちの縁をもやう赤い糸』によると、将来夫婦になる男女は、早くから目に見えない赤い糸で互いに足の指が結ばれていて、その糸はどんなことがあっても切れずに、やがて二人は結ばれるという。

この赤い糸を「赤縄(せきじょう)」と称し、中国の故事が由来である。「粹蝶記」では赤縄を「縁の糸」や「えにし(縁)」と呼び、それは神の引き合わせであるという。

ふたりはぴったりとくっつき、身体を温めながら「わたしたち、前世から結ばれる運命だったんだね」などと他愛のない会話をしている。

詳しい話の内容は今回割愛させていただくが、この「粹蝶記」、現代の感覚を持ってしても面白く、歳の離れたふたりの恋路が今後どうなるのか、その後の展開は読み手のこころをグッと掴む。

「わたしたち出会って結ばれたの運命だよね」「わたしのこと見つけてくれて好きになってくれてありがとう」としみじみ出会えた奇跡に感謝するのは、今も昔も恋人たちの尊い会話だろう。

江戸時代からこの俗信が信じられ、時を超えて今も引き継がれているロマンチックな表現。江戸と現在が地続きであることが垣間見えるもののひとつですね。

春画 歌川国芳《吾妻文庫(あづまぶんこ)》

今回のコラムでご紹介した春画をみて、「この絵の場面はわたしたちカップルに似てる」や「このシーンわたしもやってみたいな」などと感じた方もいると思います。

性別や年齢関係なく誰がみても楽しめる春画は、誰とみるかで自分の中から湧き出る感情も異なります。ひとりでみても良い、パートナーや家族、友人とみても新たな発見があると思います。「いっしょに春画をみよう!」そんなコミュニケーションも大いにありですね。

パートナーの意外な一面を知り、さらに愛情が湧くかもしれません。そうしたら相手に笑顔でこう言ってみましょう。

「わたしたちの足の指は赤い縄で結ばれてたのかもね」

Text/春画―ル