「性器はその人の第2の顔」である?江戸から伝わるアソコと外見の関係

性器は「第2の顔」

春画 歌川国貞《春色初音之六女(しゅんしょくはつねのうめ)》

わたしは性器がそのひとの「第2の顔」だと感じるときがある。
それくらい個性が顕著にでている。

顔なじみの人であれ、ひとたび服を脱ぎ、ぽろんとその姿を現すと「あら! はじめまして!」とあらためて礼儀を正して挨拶したくなる。それくらい普段は身を潜め主張をしない脚の間に存在する性器に、初見時はよそよそしくなってしまう。馴染みの相手の身体の一部なのに、だ。
しかし、はじめましての挨拶の後に仲良くして、何回か接していくうちにお互い顔なじみになり愛着が湧き、名前なんかつけて可愛がったりする(え? しないって?)。

ナニが大きかったとか、小さかったとか、色はどうだったとか、そういう類の話は何百年も前からみんな好きだし、それは男性器に限ったことではない。
「見返り美人」を描いた菱川師宣の春画には、女中たちが脚を広げて性器を見せ合う場面がある。

春画 菱川師宣《床の置物(とこのおきもの)》

「まら競べ」ならぬ「開競べ(ぼぼくらべ)」。

女性器が口をくわっと開けた人間の顔のように見えまいか。
威厳すら感じる立派な性器に「これでは鷹もつつきませんねえ」などと他の女中が言っている。

笑い絵なので当時の女中さんたちが本当に性器の見せ合いをしていたかは定かではありませんが、こういう描写を「わらい」として捉えることができるほどには性器に対して寛容だったのかもしれません。

外見から性器を判断したい私たち

春画 喜多川歌麿《会本妃女始(えほんひめはじめ)》

上の絵は有名な浮世絵師・喜多川歌麿の絵で、様々な人相の男性たちが描かれている。顔とともに書かれている文は、これらの人相の男性たちがどのような玉茎を持っているかという内容だ。

一番上から時計まわりに説明すると、

(1)雁高疣玉茎之相(かりだか いぼまら の そう)
この玉茎を一度試みた婦人は生涯その味を忘れることはできない男根を持つ顔

(2)腎張麩男根之相(じんばり ふまら の そう)
堅すぎず膣の中でふくらみ、どんな大きさにもフィットする男根を持ち、そのうえ精力旺盛な顔

(3)上反大玉茎之相(うわぞり おおまら の そう)
最高な玉茎で婦人を喜ばせることができる男根を持つ顔

(4)越前黒陰之相(えちぜん くろまら の そう)
膣の中に入ってはじめて頭を現すので雁ぎわが柔らかく、あたりが至極よい男根を持つ顔

(5)八寸胴返之相(はっすんどうがえし の そう)
経験が浅い女性が嫌がるほどの巨大な男根を持つ顔

「越前」とはいわゆる「包茎」のことなのだが、なぜだか困り顔である。そんなに包茎が悩ましいのであろうか。

八寸胴返の巨マラの男は横を向いているのだが、かなり立派な鼻をお持ちである。鼻が大きいとおちんちんも大きいというジンクスは今でも有名だが、顔の中心にひとつだけついている鼻の主張が大きいと股間の中心にひとつだけあるおちんちんの主張も大きいということか。

こういう人相と性器を連想させる絵はあまり本気にせずに、ケケケと笑ってもらえば良いのだが、「こういう顔の人は、こういう性器である!」という絵は春画でよく見かけるのだ。もし顔と性器を関連づけて考えていたとすれば、性器をまるで顔のように描くのも腑に落ちる。人相からその性器を想像するのが楽しいからであろう。それに読み取りきれない相手の内面をつかみたいが故に、外見の情報からそれを知ろうとしているきらいもあるのかもしれない。