「コミュニケーションはどう伝えるかではなくて、どう伝わったかが肝心だ」

 今までいろんな場面でこの言葉を耳にしてきたが、セックスでも同じことが言える。
何をしてあげるかではなくて、相手がどう感じたかが大事なのだ。どんなにバニラなセックスだろうと、どんなに過激なプレイだろうと、お互いに楽しくなければ意味がない。実はとてもシンプルなことなのに、セックスを取り巻く罪悪感や偏見に気を取られてそれが見失ってしまう。
そして、楽しめなかったセックスに後ろめたさを感じて、さらにネガティブな感情が膨らんでいく。

 普段から相手がどうなってもいいという人なら仕方がないのかもしれない。
しかし、もしも相手を思いやりたいと思っているなら、日常生活と同じようにセックスの最中も優しさを忘れないでほしい。
セックスはコミュニケーションの一つである。
普段のコミュニケーションの中で培った心配りはそのままセックスにも応用できる。
ぜひ、それを使ってもっと気持ちがよくてみんなが楽しめるようなセックスをしてほしい。そうすれば、通勤電車でいつかのセックスを思い出してクスッと笑う人がもっと増えるかもしれない。

Text/キャシー

次回は <「惚れたら負け」という落とし穴にはまる>です。
次回は「惚れる」ということについて。恋愛では「惚れた方の負け」という言葉を耳にしますが、実際の所はどうなのでしょう?