腰が立っていたら、
「自分の発言や行動に責任を持ちますよ」という意思に通じる
人間の体っていうのは、姿勢などの使い方と意志や感受性がセットになっているんだよ。
特に、日本人は昔から身体感覚の優れた人種だったために「本腰を入れる」とか「腰を据える」とか「腰抜け」とか、腰と意志のつながりを言葉にして表現してきたんだ。だから、日本人にとって腰と意志は、切っても切り離せない関係性なの。
骨盤は前や後ろに傾きやすい形状をしているから、「腰を立てておこう」という意志がないと立てられない。
それは、「自分の体は自分で支えて生きよう」という意志に通じるんだ。
そして、その意思は「自分の発言や行動に責任を持ちますよ」っていうことでもあるんだ。
ちょっとみんなも試してごらん。
「自分の言葉に責任をもって発言してみよう」と思って話そうとすると、腰は自然と立ってくる。
逆に、丸めて言うとしっくりこなくて、口だけだよな~って感じちゃう。
もしも彼が自分の両親に「娘さんをボクにください!」って言いに来た時に、腰を立てて言ってくれたのと、腰を丸めて言ってくれたのでは、自分の将来に対する希望と不安に大きな差を感じるよね。
腰を丸めていると、
視線が第三者的になって自分の人生を楽しめない
腰を丸めた格好、もうちょっとやってごらん。決して晴れやかな気持ちにはならないと思う。
腰を丸めると、視線が「第三者的」になるの。
自分の意志が働かない、自分の言動に対する責任が働かないから、自分のことは置いといて、まわりに対して批評的、批判的な思考になりやすいの。
真面目な話になっちゃうけど、自分の人生って自分で作るしかないのね。人任せでは、楽しめないの。
腰を丸めて、まわりをいくら批判しても、自分の人生は楽しめないし、豊かにはならない。 自分の意志で自分の人生を生きていないと、いつまでたっても自分に自信が持てないままになる。
でも自分に自信が持てなくても、私たちは生きてなきゃならないよね。
ではどうするか。
自信がないところを補うために、私たちはウソをついたり、見栄をはったり、ズルしたりしちゃう。
人よりも劣らないようにと、いつも何かと比較する思考がはたらいて、人の落ち度や欠点を指摘することや、人を蹴落すことに一生懸命な人生になっちゃうの。
たかが姿勢で?って思うかもしれないけど、されど姿勢なのよ。
もし、日本人みんなが腰を立てて暮らそう!って決めたら、この国はかなり平和になるんじゃないかと思うよ。