地面から男根が生えている国?スケベな江戸ファンタジー「春本」を読んでみよう

今まで美術館や図録で春画はたくさん鑑賞してきたけれど、春本は一冊も読んだことがないという方は多いと思います。

春画には十二枚の組物や、暦の描かれた豆判と呼ばれる小さいサイズのものなど様々なスタイルがありますが、江戸期の世界観に浸るなら、やはり物語仕立てになっている春本です。

竹原春朝斎《異開奇莖/於荘玉開(いかいきけい/おそうぼぼ》1795年 国際日本文化研究センター所蔵

しかし、江戸期のスケベな物語をいま読んでも面白いと感じるのでしょうか?

今回は”お庄”という女性が様々な好色な国を旅して周るというスケベな“江戸ファンタジー” 『異開奇莖/於荘玉開(いかいきけい/おそうぼぼ)』の一部分を、春画―ルの現代訳でご紹介します。それでは、はじまるよ~!

物語

海原を漂流するお庄 竹原春朝斎《異開奇莖/於荘玉開(いかいきけい/おそうぼぼ》1795年 国際日本文化研究センター所蔵

主人公の”お庄”は夫に先立たれた28歳の若後家。一人娘に婿取を済ませ、すでに世帯を渡したお庄は、浜辺に小座敷を借り、自由気ままに暮らしていた。

暑い夏も過ぎ、秋の夜のそよ風に吹かれながら、お庄はひとり寂しげに夫のことを思い出していた。ふと縁先からただひとり、浜辺にある小舟に乗り、広い広い海を見ていると、ざっと風が吹き、なんということか……舟は風に吹かれ、家が見えなくなるほど遠くに流されてしまった。

お庄はそのまま海に漂い、夜やら昼やら分からない程の時間を舟で過ごした。その後見知らぬ国にたどり着き、その名も「女取国(おしこく)」。そこでハメ狂い、滞在すること一年間。旅の途中でできた相棒の巨大な鶴の背中に乗り、目的地も決めず、三、四千里も鶴の背中を仮住まいに放浪を続ける。

鶴に乗り自由仕躰国へ辿り着いたお庄 竹原春朝斎《異開奇莖/於荘玉開(いかいきけい/おそうぼぼ》1795年 国際日本文化研究センター所蔵

すると見えてきたのは一面に優曇華(うどんげ。ここでは3000年に一度咲く伝説上の花を指す)の花が咲く、美しい野原だった。鶴の背中に乗り空中から野原を眺めていると、この花の中に毛氈(もうせん。敷物)を敷き、幔幕で囲った中で酒を呑みながら見事なマラをたぎらせ楽しむ人々が見えた。

お庄は「なにしてんの、この人たちw」と思いながらも興味が湧き、この土地に降りた。幕の外から男たちに向かって、この国は何という国かと尋ねた。

「自由仕躰国」と神の掟

「はて、聞きなれない『日本』という国の言葉が聞こえる」と男は不思議に思いながら、幕越しに「この国は自由仕躰国(じゆうしたいこく)だ」と答えた。お庄はどのような文化風習のある国かとさらに尋ねると、ひとりの男が幕から顔を出し、「この国は自由仕躰国という名の通り、生活するには何不足なく自由なのだ。しかし、ただひとつだけ難儀な掟がある。

この国ではたとえ夫婦間の色事であろうとも、交わるときは、必ず交わる前に身を清め、神前でおみくじを引かなくてはならない。くじで一が出れば一回だけ交合ができる。二が出たら二回、三が出たら三回できる。もし交わりの前に神前で参らず、くじも引かずに交合を行うものがあれば……たちまち女陰の中に水が湧き、無限地獄の苦しみとなる。そして男根は一生涯、勃起することができず二度と交合ができなくなるのだ……!

ああ恐ろしいこと!(ガクブル) それゆえに常々男女とも交合をめんどくさがるようになり、口を吸うだけだったり、お互いの性器を見せ合いっこして興奮するばかり。そんなときに勃つ男根のかなしさったら……」

お庄はこの国の掟を知り、「男女の交わりを神に任せ、神の御許しのない内に楽しいことができないなんて、どんな戒め!」と思いながらも、「神の習わしに対し、良い悪いというジャッジできるはずがない」と思い直した。しかしながら人と人とが交わることはこの上ない楽しみであるが、神の戒めがあるのならば交合の他には楽しみはあるのかと男に尋ねた。

「ここから二十里ばかり離れたところに『手細工の森』がある。お望みならば、お連れしよう。」

お庄は「これは面白そう」と思い、男に案内してもらうことにした。