子どもの有無で、視点は異なる?
数年前、浅野いにおの『おやすみプンプン』の感想を、女3人で語り合ったことがある。そのときの意見――というか、視点の分かれかたを私はとても印象的に記憶していて、端的にいうと、「誰の視点から物語を読むか」は、子どもがいる/いないで大きく異なっていたからである。
マンガの主人公であるプンプンは、物語のなかで、小学生から高校を卒業してフリーターになるまでに成長する。私と子どもがいないもう1人は、この物語を「同世代の男子の成長」と重ねて読み、その視点からの感想を語った。しかし2人の子どもを持つお母さんであるもう1人は、この物語を「子どもの成長」と重ねて読んだらしく、私たちとはまったく異なる視点から、感想を語ってくれたのだ。
当時は「そんな視点があるのか〜」とけっこう新鮮だったのだけど、最近は出産した友人から「子どもが残酷な目に遭う物語は精神的にきついので読めなくなった」なんて話をけっこう聞くので、登場人物の成長を同世代視点ではなく親視点から読んでしまうのは、子どもを持つ人にとっては特に珍しくないのだろう。
さて、そんな数年前の感想大会を思い出したのは、偶然にも今月「少年」が活躍する作品を2つ連続で読んだからだ。1つはマンガ作品で、新井英樹の『キーチ!!』(全9巻)と『キーチVS』(全11巻)。そしてもう1つは、村上龍の『希望の国のエクソダス』である。
少年たちの反逆の理由
結論からいうと、この2作は『おやすみプンプン』とちがって、子どもがいない私も「同世代の男子の成長」とするっと重ねて読むわけにはいかなかった。その理由はおそらく、『おやすみプンプン』が1人称視点で進むのに対して、この2作は第三者視点で話が進むから……だけど、それだけでもないような気がする。
『キーチ!!』『キーチVS』の主人公である染谷輝一は、1巻の時点ではかわいい3歳の男の子だが、やがて国家への反逆を企てるテロリストに成長する。また『希望の国のエクソダス』では、約80万人の中学生が集団で不登校になりネットビジネスを開始、日本の政界と経済界に衝撃をあたえる一大勢力になっていく。
両方とも物語が個人の成長や落胆にとどまることがないので、好きか嫌いかでいうと私は染谷輝一のことなんかはかなり好きなんだけど、それに共感できるかどうかはまったく別の話だ。同様に、子どもたちの思想や行動が常軌を逸しているので、親の視点から「子どもの成長」と重ねて読むのも、けっこうやりにくいんじゃないかと思う(子どもがいる人に聞いてみないとわからないけど)。
ところで、注目したいのは『キーチ!!』『キーチVS』の染谷輝一がテロリストになってしまった理由である。そのわけは、彼が両親の愛を得られなかったから……とかでは断じてない。輝一は両親の愛も、祖父母の愛もたくさん受けて育ったけれど、それとは関係のないところで自身の思想を育み、テロリストになったのだ。同様に、『希望の国のエクソダス』で学校を捨てたポンちゃんや中村も、家庭で大事に育てられなかったわけではないと、語り手のジャーナリストが述べている。国家への反逆を企てたり日本社会からの独立を果たす彼らは、親からの愛が得られなかった反動で、行動を起こしているわけではない。私はこのことが、この2作品における大切なポイントであるように思う。
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