実家はもう私の「巣」じゃない
このように、私は母と健全なコミュニケーションがとれないまま生きてきました。なるべく母の地雷を踏まないように、母の求めるリアクションが出来るようにと常に気を使って、本当は自分が何を求めているかも分からなくなって、苦しい日々を送ってきました。
さらに母は、定番の「娘をカウンセラーにする」「娘に自分のメンタルケアをさせる」「娘を同じ『女』としてライバル視する」「娘と自分を同一視して、娘の体験を我が物にしようとする」などの要素も併せ持つ、派手さはないけれどしみじみとキツい毒親です。一度、ヒステリーを起こした母に泣きながら「ママはみみちゃんなのォォ」と言われめちゃくちゃ恐怖を感じました。いいですか、私は、あなたでは、ありません(通じないんだよな)。
ちなみに、何をどうしたらそんなに認知を歪ませられるのか分かりませんが、母は自分のことを「子供の意思を尊重できる良い母親」と思い、私と自分のことを「友達みたいな仲良し母娘」と思っているらしいです。YABAI。
結婚前や実家に住んでいた頃は、親に泣かれることや、親の求める子供でいられないことに罪悪感を覚えたり、母の言うことを真に受けては一々いっしょに泣いて「ママのことを否定したいわけじゃない、でも私には私の感情と考え方がある」と必死に説明したりしました。
それは「実家」が自分の所属する場所だったので、なんとかして母の厄介さを改善したい、自分にはその責任がある、という思いからの行動だったように思います。不安定で、少しも安心して居られない「巣」を少しでも居心地の良い場所にしたい、という気持ちがありました。
でも、結婚して自分の足場が固まってからは「もう戸籍抜けてるし」「苗字も違うし」「私の所属は夫とのチームだし」と開き直ることが出来るようになり、「何言っても無駄」と諦めることが出来るようになりました。言ってしまえば、実家という危険で不快な「巣」を見限ることが出来たのです。
とはいえまだまだ解毒中の身なので、今回のように、母の毒をまともに浴びて半日寝込んでしまったりすることは未だにありますが、それでも「チーム実家」に所属していた頃よりはずっと楽です。今回も帰宅した夫に、事の顛末を「水曜どうでしょう」のときの大泉洋のモノマネをしながら訴えていたらいつの間にか気分が晴れていました。
さて、次回こそ夫に毒親をカミングアウトしたときのことや、夫が実家メンバーと対面したときのことなどをお話したいと思います!
Text/こはな みみこ