今回のテーマは「夫婦でほめあったこと」である。
私はこの連載の中で結構夫のことを褒めていると思う。
当然文句を書こうと思えばかけるが、そんなことはワザワザ公の場で他人に言うことではないので、あまり書かないだけだ。
そういうのは「旦那が死んでからが勝負連合」や「同じ墓には絶対入らないの会」などのクローズドな集まりのみで言うべきだろう。
そのはずなのだが、日本では「うちの愚妻が」と他人の前で家族を貶める発言をするのが未だに謙虚であり、美徳とされていたりする。
謙虚は良い、だが己の謙虚さをアピるために家族とは言え他人をサゲるというのは卑怯である、へりくだるなら自分だけにすべきだろう。
100歩譲って、親族を貶めて良い発言は「小生の愚息も昇天」だけである。
ならば、これからは他人の前で身内をアゲまくるのがトレンドかというと、そんなことはない。
基本的に人は他人のノロケ話など好きではない。
それに「私の彼は一流大卒、年収1000万、前科3犯、根性焼き7!」みたいな自慢よりのノロケは、謙虚さアピールとは逆に自分をアゲるためにパートナーをステータス扱いしているようにも聞こえる。
つまり、パートナーのことを褒めたいなら本人に言えよ、ということだ。
では、このコラムに書いてきた夫に対する褒めを、本人に伝えているかというと「否」である。
世の中には「感謝ソング」というのがある。
まず、東京に生まれ、ヒップホップで育ち、悪そうな方とは大体おつきあいがあり、両親に大変迷惑をかけた、という反省がはいる。
そして、今では雑誌のカバーをやらせてもらってますという小自慢が入り、これもみんな、家族と仲間のおかげです、マジあざっす、という、主に家族や友人に感謝とリスペクトを捧げる曲のことだ。
私は、この曲は好きなのだが、それでも「そういうのはわざわざ曲にして、他人に聞かせんで、本人に言ってはどうだ」と思っていた。
だが結局、それと同じことになってしまっている。
やはり、家族などの近すぎる人間を褒めたり、感謝を伝えるというのは、猛烈に照れが入る行為なのである。
特に昔「ババア」とか呼んでいたお母さんに「ありがとう」などと伝えるのは想像しただけで顔真っ赤である。
「これはラップにするしかねえ」となるのも必然である。
今大ブームの「ヒプノシスマイク」も「暴力は良くないのでラップで決着」という世界観だし、大体のことはラップにすれば解決すると言っても過言ではない。
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