恋愛感情が薄まったときに起こること
もし夫が生粋のアウトドア野郎で、「キャンプ」という自室但が聞いた瞬間水蒸気(くさい)になってしまうホビーに、付き合いたての頃に誘われていたら。
多分私は喜々として行ったと思うし、そのときは楽しく感じたと思う。
そこで、本当にキャンプが好きになるかもしれないが、「恋愛感情」という違法薬物を投与されていたため、楽しく感じられていただけという場合も多い。
薬物が切れると「何で外で寝なきゃなんねえんだ!?」と、我に返ってしまうのである。
しかし相手は自分が我に返ったあとも、キャンプに誘ってくるだろう。
「楽しくつきあってくれた」という実績があるからだ。
それに対し「本当はキャンプ自体は嫌いだった」と言うのは相当勇気がいる。よって言い出せないまま、ジャリが入っているカレーを食ったり、でかい虫に遭遇し続けなければいけなくなってしまうのだ。
もう1回楽しくしようとしたら、再び「恋愛感情」を投与するしかないが、これはシャブと違っていくら積んでも人工的に打つことが出来ない。
方法があるとしたら「相手を変える」という抜本的改革しかない。
またこの「恋愛感情」の作用は「相手の趣味に合わせる」だけではない。
最近、深すぎるワケがあって、活動休止を発表した西野カナさんの楽曲を積極的に聞いていた。
その中に、おそらく同棲中の彼氏がだらしないタイプで、靴下も脱ぎっぱなしで「もう誰が片づけるの?」とプンプンし、全然理想と違う!でも好き!と惚気まくる歌があるのだ。
まさに恋愛血中濃度マッドマクス曲だ。
相手に対する恋愛感情が強いときは、このように「相手に必要以上尽くしてしまう」ということがある。
何が幸せかは人それぞれなので、好きな男に尽くすことに本当に幸せを感じる、という人もいるだろう。それが悪いとは言えない。
だが、薬物が切れたときに「何で私がこいつに、ここまでしてやらなければいけないのだ」となってしまう場合の方が多いのではないだろうか。
しかし気づいたときには、相手は「してもらえるのが当然」「何もできない」というモンスターになっている。だがそれを作り出したのも自分である。
自らの作り出した怪物の醜さに絶望したあなたは怪物を置いて家を出るが、怪物はあなたの人間関係をズタズタにしながらあなたを見つけ出そうとする。
これがかの有名な小説「フランケンシュタイン」である。
恋は盲目というように、つきあいたての頃は、何をやっても楽しく、生来の自分に合わないことでもやってしまうものだ。
しかし、どう考えても後々だるくなりそうなことには「それは1人でやってくれ」と最初に言っておくことが肝心だろう。
そして恋愛期間が終わった我々夫婦は、滅多に二人で外出しなくなった。
どうやら、夫も私と外出することが大して好きだったわけではなかったようだ。
Text/カレー沢薫
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