自分次第で黄金時代にもなる「黒歴史からの学び」/カレー沢薫

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無職になって早一か月。
その間、私の部屋がキレイになることもなく、夕食の品数が増えることもなかったので、そろそろ夫に「コイツ昼間何やっているんだ」と思われている頃合いである。

何やっているんだ、と聞かれたら「息とか…?」としか言いようがないが、息は重要だ、しないと死ぬ。

先日、夕食時に「就職説明会」のCMが流れ、夫が「行かなくていいのか」と言い出したので、つい生まれてから一番でかい声で「行かねえ!もう一生働かねえ!」と言ってしまった。
「おっとっと、拙者「働かない」などと、つい本音が」という奴である。

自分的には悪いことを言った気はしてなかったのだが、逆にこのセリフを夫に言われたら私の下に「結婚失敗のお知らせ」というクソデカ赤字テロップが表示されたとは思う。
やはり「相手の気持ちになって考える」「思っていても言わない」というのは夫婦間のみならず、人間関係に置いて最重要であると再認識させられた。

そのときの夫の心中は定かでないが「一生は言い過ぎではないだろうか」というコメントしており、おそらくドン引きだっただろう。
だが、言ってしまったことを、撤回することはできても、「そう言ったという事実」までなかったことには出来ないのだ。

というわけで今回のテーマは「黒歴史からの学び」である。 黒歴史と言ったら「邪気眼」「眼帯」「属性:闇」など、いわゆる「中二病の傷跡」を想像しがちだが、実はそのようなものは黒歴史のうちに入らない。

「恥ずかしがらなければいいのだ」
むしろ恥じた瞬間「黒歴史」になってしまうのである。

よって実家に帰省した時、母親から突然「あんた中学の時、アイムこの腐敗した世界に堕とされたゴッズチャイルドとか、毎晩寝具で遊戯しながら将来僧と結婚するとか言い出して大変だったわ」と言われても、悶絶しながら床に倒れ伏して「グレッチで殴って!」などと叫んではいけない。

平然としておくか「そんなこともあったね」と懐かしむように目を細めておけば、それは黒歴史ではなく、ただの「昔のこと」になるのである。

何故なら中二病型黒歴史というのは、あまり他人に迷惑をかけていないのだ。邪神を降臨させるために、隣の家の木を燃やした、というなら大いに反省すべきだが、悪いことをしていないなら、あとは「自分の気持ちの持ちよう」である。

よって「腕に好きなバンドの名前をカッターで彫ろうと思ったが怖くなったのでマジックで書いていたあの頃が一番輝いていた」と自分が言ってしまえば、それは「黒歴史」から「黄金時代」になるのだ。