Kさんがもらったもの

夫「お父さんの遺体の近くに…巨大な亀がいた

!?

 私が金田一少年なら「自殺に見せかけた亀を使った殺人トリック」を推理するところだが、どうやらその亀は警察署に保護されていた亀らしい。

「首を引っ込めていたので分からなかったけど、あれはカミツキガメかミドリガメか…」と思案する夫の横顔を見ながら「この人と結婚してよかった」と思った。私はこういう時に、真剣に亀の話をする夫に救われるのだ。

 父が自殺した日の夕方に、まさかのイケメンと亀との出会い。人生とは珍奇である。

 その後、席を外していた3人が戻ってきて、Kさんが父について語ってくれた。

K「来週、社長とごはんに行く約束をしてたんです」

 3年ほど前、父はついに会社を閉めて、派遣でマンションの管理人の仕事をしていたらしい。月12万ほどの収入でギリギリの生活だったという。

「社長に少しでも元気になってほしくて、月に1回、食事に誘ってました。でも社長は会うたび『商売ができないのがつらい』『もう一度、商売をやりたい』と言ってました」

「だんだん社長自身が周りの人間を遠ざけるようになって、僕が電話しても出ないこともありました。『Kくんも俺を情けないと思ってるんだろう』と言われたこともあります」

 昔、父がよく話していた。同じ業界で社長だった仲間が会社を閉めて、駅前で警備員として働く姿を何度か見かけた。俺はあんな情けないことは死んでもやりたくない、と。
やっぱり父と母は似た者同士だ。見栄っ張りで、他人を見下して、過去の栄光にすがって、死んでしまった。

 同時に「まあ、よくある話だな」と思った。人は格差に苦しむ。みんなが貧しい時は貧しくても耐えられるけど、周りと比べて自分だけが貧しいのは耐えられない。

 父は周りと比べて、落ちぶれた自分をミジメに感じていたのだろう。過去のイケドンで羽振りがよかった自分と今の自分を比べて、情けなくて耐えられなかったのだろう。
父の転落はバブル崩壊がキッカケなので「自殺の原因はプラザ合意」説は、ある意味正しい。

 Kさんは独立して会社を経営していて、順調そうな様子だった。

「僕は20代でこの業界に入って、社長に育ててもらったんです。社長は厳しくて怖かったけど、面倒見のいい優しい人でした。いつも部下のことを真剣に考えて、社長がいなければ今の僕はないです」

 そうか、父には私の知らないそんな面が…なんてことは、1ミクロンも思わない。
父親役をやりたきゃ家でやれよ、娘から金を奪ってカッコつけてんじゃねえよ、猿山の大将になりたかっただけだろうが。と思ったが、この場では不適切なので発言は控えた。

 仕事が一番大切で、家のことはほったらかし。昭和の父親あるあるだ。
「仕事>>>>>>>>>>家族」だったから、自殺するはめになったのだ。もしこれが逆だったら、死なずにすんだだろう。

 仕事よりも家族を大切にしていれば、バブルが崩壊しても親子関係は壊れなかった。私も父から愛情をかけて育てられていれば、絶縁することもなかった。Kさんと違って、私はもらってないから返せない。

 Kさん宛の遺書には、アパートの処分など事後処理の依頼が書かれていた。
「社長は僕のために最後の仕事を残してくれたんですね…」という言葉に「茶番茶番」と思ったが、発言は控えた。人は“家族の絆”みたいな美談が好きだが、私はそんなものを感じたことはない。

 JJ(熟女)会でこの話をしたら「わかる!うちの父の葬儀でも、部下の人たちが『あんな優しい人はいなかった…』って号泣してたけど、家ではモラハラクソ野郎だったから、家族はみんな冷めてたわ」との声が寄せられた。

 それでも、いろいろ尽力してくれたKさんには感謝でいっぱいだった。「毎年お中元とお歳暮を贈ろう、デリカテッセンのハムとか」と神戸のJJらしく思いながら、イケメンと亀のいる警察署を後にした。