『闘え!サラリーマン』の違和感

 ゴリラと温泉に行く道でのことだった。

 カーステレオにiPodを繋ぎ、シャッフルで曲を流していた時にそれは流れた。

頑張んだ あんたがやんなきゃ
だって日本代表サラリーマンだ
「ハイハイハイ」「やりまーす!」「やれまーす!」「喜んで」
この世界じゃお決まりのファイナルアンサー
やらねぇお前が言うな「やれ!」
嫌われ上司になりたかね
報連相ならしっかりと また
ノルマに合わせるぴったりと
何だかんだで出来ちゃって また
首を絞めるのは俺のせいだって…
とっとと会社を飛び出して 外回り 出先
あの会社の受付嬢はカワイイ
いい事もなけりゃやってられん だって
カミさん家では待ってません
月1 キャバクラ 膝枕 コレが
何より楽しみヒラだしな
今日の疲れは酒に流す
日本代表 サラリーマン達は 明日も闘う

 「な、なんだこの歌は」

と、初めてこの曲を聴いた時に思った。

 サラリーマンという一定の層をターゲットにした歌で、かつ彼等の応援をしている歌だということは理解できた。

 しかし私には、ただの日常の羅列にしか思えなかったので、どうしたらこれが応援に繋がるのか分からず戸惑ってもいた。

 この歌詞で描かれているサラリーマンからは、仕事の辛さ以外は細かな心情の揺れが表現されていない。

カミさん家では待ってません

 (妻から愛されてないと感じている?)

月1 キャバクラ 膝枕 コレが

 (愛や温もりが欲しくて他で補充してる?)

何より楽しみヒラだしな

 (月に一度しか気晴らしに行けない財力の乏しさを嘆いてる?)

 ここら辺の細かな苦悩をあえて描かずに、行動だけを描写しているのが分かると思う。

心情の揺れよりも、辛い現実をひたすら羅列することに意味があるようなのだ。

 ちらりと隣を見るとゴリラはノリノリで歌っていた。

車内でその歌に違和感を持っていたのはどうやら私だけだった。

「ねー!何がそんな良いのか全然わかんない!!」と私はとりあえず説明を求めたが、ゴリラ自身もなぜなのか分からなかったのだった。

 私はそんなある日のドライブを思い出しながら、鎌倉から帰る電車の中でゴリラに『あたしおかあさんだから』の歌詞を読んでもらった。

 「何も変なところはないよ」と言うゴリラに、「お母さんのための応援歌だと作詞をした人は言ってるよ」と言うと「そうなんじゃない?大変そうだね」と返ってきた。

 次に、『闘え!サラリーマン』について聞くと「人を鼓舞させる歌だ」と答えた。

 一方で、世の中の女性は『あたし おかあさんだから』に対してネガティブな印象を抱いた人がとても多かった。

 特に、「がまんする母親像を押し付けられていると感じる」という意見が多く見られた。

 私自身、歌詞から感情を感じず「なんだかペッパー君がおままごとしてるみたい」と冷たい印象を持ったのは事実だ。

 この、実例がひたすら羅列されているという共通点を持った2つの歌詞に対して、ポジティブな反応を見せたうちのゴリラ。

 我が家のゴリラが世の中の男性代表だとは思ってはいないが、『闘え!サラリーマン』がヒットソングだということは、世の中の多くのサラリーマン男性からの支持がある歌詞なのだろう。

 では、なぜ同じ構造で作られたママ応援歌では、女性はポジティブな印象を持たないのだろうか。

 私はふと、ある日スーパーで起きた出来事を思い出していた。