夫婦関係はフライパンのように「寿命が尽きている」と気づきにくい

「卵焼きと餃子が焦げ付くようになったら、寿命」という話を聞きつけて、先日フライパンを買い替えました。数年前にコストコで買った我が家のフライパンは、表面をコートしていたテフロンがすっかりボロボロで、餃子を焼けば皮がめくれ、オムレツを作ると表面が剥がれる。ぐちゃぐちゃに仕上がったとて、味自体にはさして影響はないので、騙し騙し使い続けていたのですが、 “寿命”であることを、はっきりと指摘されれば、さすがに諦めもつきます。命が尽きているものを、使い続けることもない。

寿命に気が付きにくいもの

さて。フライパンと同じように、寿命が近づいてきている、もしくはとっくにご臨終していることに気が付きにくいものといえば、なんといっても夫婦関係ではないでしょうか。炒め物ならば難なく作れるけれども、餃子とオムレツは上手に焼けないフライパンと同じく「子の親としては、ちゃんとやってくれているし」とファミリーとしての寿命にすがってしまうこと、時期が来たら買い替えるのが当然のフライパンとは違って、結婚の前提に離婚はないこと。さらにはフライパンほど気軽に買い替え(離婚)できないということを考えると、「もしかして寿命?」と思っていても、「いやいや、まだ息はしているはず」という結論になると思うのです。

その息をなんとか繋ごうと思っている場合であれば、「相手を労う」とか「話し合いをする」とか「夫婦だけでデートする」とか「スキンシップをとる」とか「お互いを尊重する」とか「感謝を伝える」とか「家事分担の不平を失くす」といったことを試してみるわけですが、大概の場合はあまりうまくいかず、「労わっても不機嫌で返される」「話し合いを避けられる」「夫婦だけでデートする時間がない」「スキンシップが苦手」「そもそも向こうがこっちをバカにしている」「感謝するような行いをひとつもしてくれない」「家事をどう割り振っても、どちらかには不平が残る」みたいな結果になる。それをどうしたら……と悩んで相談を受けることもあるけれど、どうしたらもなにも、「夫婦の寿命が尽きかけているから」としか言いようがないと思うのです。死んでしまったものは、もう生き返らない。

長続きさせるために

けれど、すっかり臨終仕切っていると思っていたフライパンであっても、時折、綺麗な餃子やオムレツが作れることもある。ぐちゃぐちゃの餃子もオムレツも、不満はあるにしても食べられる。だから、終わっている夫婦だとて、一緒に暮らしていくことはできるとは思うのだけども、とはいえ、夫婦には(そして家庭にも)寿命があって「健康に長生きさせる」という確固たる意思がないと、その命はあっけなく尽きてしまう、ということは常に心に置いておこうと思っています。

Text/大泉りか