今回のテーマは「夫婦それぞれの20代にやるべきだったこと」だ。
そんなことを言ったら「何かを始めるのに年は関係ないよ!」と返ってきそうなのが現代の風潮である。
ちなみにひと昔前なら上記のような言葉を「ベッキーが言いそうなこと」と書いていたが、ベッキーさんも色々あって現在は三池崇史監督の映画で、バールを片手に復讐に燃える女を怪演したりと、とっくにネクストステージに向かっているという。
今まであまたの傷害事件容疑者が「バールのようなもの」という贋作しか振るえなかった中本物の「バール」を装備できる、というのはドラクエでいうところの、ロトや天空の装備は勇者しか装備できないと同じ理屈である。
そんな「そして伝説へ…」になられたベッキーさんをいつまでも大昔のイメージで語るのは申し訳ない、よってそろそろ令和版の「何かを始めるのに年は関係ないよ!と言いそうな女性タレント選手権」を開催するべきだろう。
しかし「鼻につく」という事実はおいておいて「何かを始めるのに年は関係ない」という主張は正しいし、少なくとも現在しきりに言われている多様化社会では歓迎される考え方である。
しかし「あるべき姿」に「現実」が追いつくには常にタイムラグがある。
むしろあるべき姿の方が先走りすぎて、現実の方が全くついて行けず、横腹を押さえて側溝で吐いているケースの方が多い。
実際「年齢や性別による差別はいかん」という考えにより、だいぶ前から求人票には年齢性別制限は書いてはいけないということになっている。
しかし、現実は「年齢性別問わず採用する」ということではなく「一応受け付けはするけどこっちが希望する年齢や性別じゃなければ落とす」という状態なのである。
つまり、女性事務員を希望している求人に、元管理職の中年男性が応募してくるというような事故が起こりやすくなる。
さらに面接に行っても、限界集落に唯一ある総合病院の如く待たされた上「採用する気はないけど一応規則なんで」という、そもそも人事権皆無そうな若造に3分で帰されるという、お互い時間の無駄、少なくとも履歴書1枚という資源の無駄が各地で行われるようになってしまった。
よって求人に関しては、字面だけ老若男女平等にするぐらいなら「想定する年齢性別があるなら最初から書いてくれ」という人も多い。
つまり、年齢性別問わずどこでも働ける社会を作る前に「求人票に年齢性別制限を書くな」という決まりだけ作っても無意味だし、逆に面倒なことになってしまうのである。
それと同じように「何かを始めるのに年は関係ないよ!」とだけ言われても「ババアがビキニやミニスカを履いていても嘲笑しない世の中」でないことには、素直に「それな」とは言えず、つい「せやかて工藤」が出てしまうのである。
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