「社会性」を生み出しているのが家事

未だにツイッターが「主婦は仕事か否か」で定期的に燃えるのも、家事も労働には違いないが、それによって現金が発生していないため「仕事」や「職業」というイメージが持てないからだと思う。
そして主婦の労働が軽んじられがちなのも「そうは言っても現金を稼いでいる方がエライ」という価値観があるからだろう。

確かに金がなければ、洗濯機以前に洗濯する服がないという野生のミニマリストになってしまう。
現金によって生活が成り立ってこその家事ではある。

しかし、家事が何も稼いでいないか、というとそうではない。
ある意味、金よりも大事かもしれない「社会性」を生み出しているのが家事なのだ。

会社で、女子社員に書類をトングではなく手で受け取ってもらえるのは、沸かされた風呂に入り、絶えず補充された石鹸で体を洗い、洗濯された服を着ているからである。

どれだけ仕事ができても、米粒のついたシャツを着ている奴は評価されないし、最悪つまはじきにされてしまうのが「社会」というものなのだ。

つまり、外での労働で滞りなく賃金が得られるのは、家で家事をして社会性を生産してくれている人がいるからだったりするのだ。

よって「誰のおかげで食えていると思ってるんだ」というセリフを言いたいときは、まず自分で洗った服を着てからの方が良いし、その結果全裸になったというなら言わない方が身のためだ。

おそらく私のように、損得で考えて家事はしたくないという人もいると思う。
しかし、損得というのは決して現金だけで換算されるものではない。

私は3年ぐらい、時間を家事など、現金に繋がらないことにに使うのは損、というスタンスで動いたところ、二度と社会復帰できないビジュアルになったし、バッチリ健康も害した。

つまり「家事をしない方が損」なのだ。
よって家事をする時は「金にならないことをやっている」ではなく「社会性を稼いでいる」という感覚でやればモチベーションが上がるのではないだろうか。

ちなみに家事などをしない生活を続けると、汚い部屋や己のショッキングなビジュアルにもなれてしまい「社会性」だけではなく「やる気」も失ってしまう。

家事をしないことで失うものは大きい、損したくないならむしろやるべきである。
もう返せないレベルの負債を背負ってしまった者からのアドバイスだ。

Text/カレー沢薫

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