家事は金より大事かもしれない「社会性」を生んでいる/カレー沢薫

今回のテーマは「好きな家事」だ。

「そんなものはない」の一言で終了だし、横山光輝の関羽画像を貼ればもはや言葉すら必要ない。

家事が好きか嫌いかと言われたらもちろん嫌いであり、やらないで済むに越したことはなく、実際、洗濯の取り込みや飯作りなど、決められたことはやるがそれ以外は一切やらないという状況だ。

結婚するとき、私の母が夫に「この女我儘につき」と北野映画みたいな注意喚起をしていた。
私はそれを「半笑い」という、いつもの自我のない顔で聞き流したのだが、実は微妙に納得が言ってなかった。

私は周りにあれこれと要求するタイプではない、むしろ人に「頼む」ということが一切出来ず、許容以上の仕事を抱え込んで爆発四散し、飛び散った肉片で周囲に迷惑をかけるタイプである。
害悪には変わりないが「我儘」という言葉は違うのではないかと思っていた。

しかし「我儘」というのは出された料理に対し「キャビアとかフォアグラはないの?」と、富江みたいなことを言い出す人間のことだけを差すのではない。

確かに、まだ将来のある若い男が「ブスなのに言うことが富江」という女と結婚しようとしているなら、例えそのブスが実の娘でも止めると思う。

しかし、我儘というのはそういう主張や要求が強い奴ばかりではない。
むしろ「大人しい」のだが、大人しいゆえに、人の視線が目立つ富江に集まっているのを良いことに「自分がやりたくないないことはサボり倒している奴」が存在するのである。

好きなことだけやって、やりたくないことはやらない奴が我儘でないなら一体なんなのか。

おそらく「産廃」とかいろいろ言い方はあると思うが、さすがに産廃の製造元として気が引けたのか「我儘」という、オブラートに包んだ言い方に留まったのだと思う。

しかし、結婚後、家事というやりたくないことを極力やろうとしない、むしろ家事を増やしている自分に気づき「確かにこれは我儘、もしくは産廃だ」と、改めて母の慧眼に恐れいった次第である。

では何故家事をやりたくないのか、おそらく家事をやる気満々でやっている人の方が少ないとは思う。
おそらく家事をやりたくない理由第一位は「面倒くさい」だと思われる。

しかし、いくら家事が面倒くさいと言っても、全くの白紙を何等分もし、その一つ一つに手書きで絵を入れていく「漫画」に比べたら遥かに面倒ではないと思う。
むしろ、コマに絵が入れられて、何故ゴミ箱にゴミが入れられないのかと思われているかもしれない。

ならば家事と違って漫画は「楽しい」から描けるか、というと「割と楽しくない」ことの方が多かったりする。

面倒な上にそんなに楽しくないという意味では家事も漫画も大して変わらない、しかし私は、家事か漫画どっちかやれという地獄の二択を迫られたら、漫画を選ぶのだ。

何故かというと、漫画は描けば現金が貰えるのである。

家事と仕事の一番大きな違いはこれである。
家事も仕事も労働には違いない、しかし仕事をすれば「現金」という目に見えた見返りがあるのだ。

つまり同じ労働でありながら、現金が発生しない家事をやるのは「損」な気がしてやりたくないのだ。
よって家庭内で家事は「やったもの損」になりがちなので損している側の不満が募りやすい。

前後の連載記事