先日、既婚の友人とランチを取っていた際のこと。ちょうど時期柄、ワクチン接種について話題にあがりました。それぞれの考え方があるので、少々ナイーブな話題ではあるものの、長年の友人であれば、それほど突飛な主張が出てこないこともわかっている。いや、例えば「5G!」とか「磁石!」なんて言い出したら、それはそれで、むしろそう思うに至った理由を尋ねればいいか……そんなふうに思って続きを聞いていたところ、彼女の口から出てきたのは「夫に『ワクチン、打ってもいいかな?』って聞かれたんだけど!」という台詞でした。
「え、なんで? 反ワクチンみたいなことを、これまで家の中で言ってきたとか?」と疑問に思って聞き返したところ、「ううん全然。だから、なんで聞いてきたのかわからないけど、なんかムカつくよね。『なんでそんなこと聞くの? 好きにしたら』って言ったけど」と。
そんな彼女の不満に、まったくもって共感できるのは、確かにわたしも、「ワクチンを接種してもいいかな?」などと尋ねてこられたら、なんだか微妙に腹立たしい気持ちになりそうだからです。家庭という世界の支配者という、濡れ衣を着せられたよう……まるで常日頃、相手方の意思を尊重することなく、不自由を強いているかのようだし、それと同時に「大人なのだからリスクも含めて自分で考えて判断しろ、わたしに選択の責任を委ねるな」という気持ちにもなるに違いない。っていうか、「打つな!」と言ったら、例え自分は打ちたくても、打たないのか夫氏は。
配偶者の意向をどこまで尊重するか
一緒に生活する中で、配偶者の意向をどこまで尊重するかはなかなか難しい問題です。同居、扶助、協力の義務が民法に定められてはいるそうですが、互いに「夫婦といえども他人」という考えが強くあれば、基本的には相手の行動を縛ることはあまりしないかもしれません。そもそも別居婚という形だってある世の中ですし。
しかし、「家族というユニット」で考えたときには、例えばお金の使い方や、余暇の過ごし方など、ある程度の合意を取ることが必要となってくるとも思うのです。特に子どもが生まれれば、これまで考えていなかった教育費の問題が出てくるし、小さい子どものいる夫婦の場合、余暇に片方が自由に好きなことをする間に、もう片方は子どもの世話を課せられるわけです。そこをまったく配慮することなく、配偶者から「週末は友達と飲みに行ってくるし、その翌日はひとりで映画を観に行ってマッサージ寄って帰ってくる」なんて、一方的にスケジュールを伝えられたら、不平不満を抱かないわけがない。
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