悪いが金時を出してしまった。
というわけで前回の記事は白装束で砂利に正座して書いたが、今は全裸に毛皮を羽織り、レッドカーペット上で女豹のポーズをしながら書いている。
ちなみに課金額は約1万5千円。つまり実質タダで出た上に、ババアに貰った10万円にも手をつけずに済んだ。完全勝利である。
金時が出た瞬間、母親の股間から顔を出したときより感動したし、冗談ではなく人生で一番嬉しかった。ちなみに同率1位が刀剣乱舞の三日月宗近が出たときで、2位が長曽祢虎徹が出たときだ。
これは私の人生に喜びが少ないからというわけではない。仮に私が豊臣秀吉だったとしても「全国統一した時より嬉しかったっすね!」とインタビュアーに答えるだろう。
ゲーム内で何か成し遂げることに何の意味があるのか、ましてガチャなんて完全に運であり、成し遂げた、とすら言えないではないかと思われるかもしれない。
だが、それは違う。私はガチャに金を使っているのだ。そしてその金をどうやって手に入れているかというと労働である。
労働で得たもの、つまりそれは努力の結晶である。私だけではない、多くの人間が努力の結晶を使ってガチャを回しているのだ。
つまり「ガチャを回す」というのは「これ以上ない努力」なのである。
さらに金時を手に入れるまでには時間もかかった。出会ってから約一年でやっと手に入ったのである。
「一年努力し続けたものが手に入った」のだ。これが嬉しくなかったら、もう何も嬉しくないだろう。
金は努力の結晶だし、時間は二度と戻らない有限なものだ。その二つをかけて得たものは何であろうと尊いに決まっている。
もし金時を出して泣いている私を見て笑う奴がいたら、中島みゆきの「ファイト」をお返ししてやる。「戦う人たちをフフフフフンガフフフフフーン♪」だ。今のはジャスラック対策だ。歌詞は各自ググってほしい。
こうして1年の努力の末、私は金時を手に入れた。これはこれでハッピーエンドである。
だが、まだ終わっていないもの「努力中」のものがある。
そう土方さんだ。
諦めるわけにはいかない。努力というのは続けるから意味があるのだ、つまり「ガチャを回し続ける」というのは「継続は力なり」という意味もあるのである。
金時が出たから土方さんはいいや、とはもちろんならない。肝臓が心臓の代わりにならないのと同じだ。どっちもなければ「死」だ。
私は歴史上の人物で土方歳三が一番好きなわけだが、土方歳三というキャラならなんでもいいわけではない。もちろん土方歳三というだけで、5億割増しで好感度が上がるが、逆に「土方さんの名前を使うなら雑なキャラデザはしないでくれ」というモンスターヒジカタペアレント的思いもある。そのなかでもFGOの土方さんは特にいい。
新撰組は女子ファンも多いので、乙女ゲーにも良く出るのだが、当然目的はプレイヤーとの恋愛なので、土方さんも鬼の副長という設定ながらも女子向けのスイートなキャラデザで出てくる。
片や、FGOはもちろん乙女ゲーではないので、土方さんもイケメンではあるが女子向けというわけでもなく、性格ともどもかなり男っぽいのである。
それがいいのだ。これは、恋愛漫画より、少年漫画に薄く描かれる恋愛要素の方に爆萌えするのと同じ理屈である。
つまり今回のテーマは「夫が言う私の好きなところ」である。
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