来ちゃった。
この時点で何が来たかわからない奴は帰れ。土か海へ。
前回、長谷部(長谷部がわからない生まれたてのインパラにも一応教えてやる、ゲーム『刀剣乱舞』に出てくるキャラ“へし切長谷部”だ、覚えてからリカオンに食われろ)の極(極がわからない奴はリカオンの胃の中でググれ)が年内に来るかもしれない、と書いたが、もう来ることが決定してしまった。というか、もう明日来る。
現在この原稿を書いているのが10月30日、そして10月31日に長谷部の極が実装予定なのである。
実はシルエットが発表されただけで、長谷部とは名言されていないので、もし違ったら切腹ものだが、それだと大体の長谷部クラスタが集団自決することになってしまう。
つまり、この原稿が載る頃には、長谷部極がすでにお目見えしているはずなのである。
よって、今この原稿を遺書のつもりで書いている、と言いたいところだが生きる気満々だ。
何故なら11月22日が私の誕生日だからだ。
別にそれ自体が嬉しいわけでも、盛大に祝ってくれる友達がいるわけでもない。
だが、全人類がその日、aikoさんの誕生日を祝ったとしても、私の、私の土方さん(宝具5)だけは私の誕生日を祝ってくれるのである。
そう、誕生日には特別メッセージが聞けるのだ。youtubeで見れる、他人の土方さんが他人の誕生日を祝っているボイスではない、ワン&オンリーだ。
こんなの「生きる」以外の選択肢が見つからない。最悪、視覚と聴覚だけ残っていればあとは肉塊やゲル状でも構わない。とにかく生きる。
こんな夢も希望もないストレス社会で中年女がここまで力強く拳を握って「生きる」と宣言できることを尊いと言わずして何か。オタクが言う「尊い」は決して誇張表現ではない。生命の躍動を表しているのだから尊いに決まっている。
しかし、自分のジャンルや推しキャラに動きがあると、楽しみに思いながらも恐怖するのがオタクである。この恐怖の正体は何か。もちろん、萌え過多で死ぬのではという恐怖もある。
だが、長谷部極に関してはそれ以上の「世界崩壊」の恐怖を感じているのだ。
何度も言っているが、刀剣乱舞はゲーム内での供給がとても少ない。ボイスの方はそれでも増えてきているが、キャラ絵に関しては、平均5枚ぐらいしかない。
そんなまさか、もっとあっただろうと数えてみたが、やはり5枚くらいしかなかった。この2年、長谷部の色んな姿を見てきたつもりだったが全部幻覚だったようである。
よって、長谷部や他の刀研究家たちは、その少ない材料から様々な解釈をして、己の刀像を作り上げてきたのである。
話は変わるが昔「旧石器捏造事件」というのがあった。
詳しくはウィペディアを読んでほしいが、ともかく今まで出土された石器が捏造だとわかり、日本からは確実と言える前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅し、全国の歴史教科書を改訂せねばならぬ事態に陥った、という事件だ。
つまりそういうことである。
今まで、研究家たちは、長谷部という遺跡から、ごく希に発掘される新規ボイスや、他のキャラとの会話という名の土器や石器から「長谷部はこういうキャラなのではないか」と、縄文人の生活に思いを馳せるが如く、己の解釈をし、論文をしたためてきたのである。
だが今回の極実装により、遺跡からIKEAの食器が発掘されてしまうかもしれないのである。
長谷部から送られてくる手紙、極になった後の姿、台詞、全てが、今までの研究を覆す要素になりかねない。
つまり「一からやりなおし」である。
キャラの解釈は人それぞれであり、どれが正解というわけではなく、他人がそれをどうこう言っていいものではない。だが今回、極長谷部が来ることによって「自分の解釈に解釈違い」という、カメムシが自分の匂いで死ぬような事態になりかねない。
二年かけて書いた論文が間違いだったことに気づき、焼き捨てなければならない。
相当つらいことだ。恐怖を感じるなと言う方が無理である。
続いて、長谷部が極になるまでの4日間をスキップするか、リアル4日待つかについて語る予定だったが、まさかの「1項目で尺を使い切る」をやってしまったので、それは次回やるとして、最後に今回のテーマは「夫とのノロケ話」だ。
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