意外な展開になった「夫との外食のこと」/カレー沢薫

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大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち (講談社現代新書)

「これから夫と外食に行く、怒られませんように」

前回は「これがカレー沢の最後の言葉になった」という感じの終わり方をした。

結果は「今も無駄口を叩いている」という残念なものになったが、せっかくなので会食の結果を報告したい。

まず我々はあまり外食をしない。少なくとも私から今日は外で食べよう、と言うことはまずない。人が作った飯をおごりで食うのは大好きだが、外出が大嫌いなのだ。
いや「嫌い」などという否定的な言い方は良くない。「家が大好き」なのだ。

夫は私を「ひきこもり」と呼ぶが、その呼び方も好きではない、何故「部屋を愛しすぎている人」と言わないのか。
イケメンが美女に「愛してる…」と囁くのは肯定されて、キモオタが部屋に「愛している…離れたくない…」とつぶやくのは「ひきこもり」などという現代が生んだ病扱いされるのか。

確かに、本人しかいないはずの部屋から毎晩「愛してる」という囁きが聞こえてきたら若干の事件性があるが、平素外で働いている人が、休日は完全に引きこもっている、というのを「休日を無駄している」どころか「人生損している」扱いをしたりするのは、全くの見当違いである。

お前が、山とか海とか好きなように、俺は部屋が好きなんだ。

誰もが、休日は、好きな場所で好きな人といたい、と思うだろう。それが「部屋」「一人」だっただけなのだ。

そんな「部屋神推し」「自室同担拒否過激派」なので、外食をするのはお互いの誕生日、結婚記念日、そして夫から誘いがあった時だけだ。
それも、そんなに頻繁にあるわけではないので「今日は夜、外で食べよう」と言われると「何か言いたいことがあるのでは」と身構えてしまうのだ。

これと言って怒られる覚えもないが、逆に言うと怒られる覚えしかない。ここ数年忙しさを理由に全てがネグレクト気味なので、全面的に怒られる可能性がある。

だが、怒られる理由があるのは承知しているが、怒られたくない。飯の席ならなおさらだ。よって私は会食前に「怒られませんように」と邪神像に祈りを捧げた。

だが祈り虚しく、夫は激怒した。店員に。