仕事も恋愛も、アイデンティティを補完するための営み

 これ、「月9」を「恋愛」に置き換えてみるとどうでしょうか。
“恋愛”そのものの絶対的なときめきは失われたけれど、“あえて恋愛っぽくふるまう”ことで、自覚的にときめくことはできる。
そして、そんな“恋愛らしきもの”を楽しんでみるのもおもしろいよね、ということです。
つまり、第11回で取り上げた『最後から二番目の恋』のテーマに通じるものを感じませんか?

 そしてもうひとつ『リチプア』で重要なのは、この作品が“仕事”と“恋愛”をほとんど同義のものとしてとらえ、日向をめぐる真琴と朝比奈徹(井浦新)の三角関係として描かれているということ。
表向きは燿子が恋のライバルですが、それはしょせん当て馬のようなものです。

 日向はプログラマーとしては天才的ですが、幼い頃に母親に捨てられたことで人を信じることができず、社交性も持てないでいる、いわばマザコン男。
そんな日向に対して、ビジネスパートナーとして母親代わりを務めてきたのが朝比奈で、恋愛のパートナーとして母親代わりを務めたいのが真琴というわけです。

 ふたりは、日向の欠落したアイデンティティを補完してあげる立場ですが、同時に自分にはない才能を持つ日向のカリスマ性に、めちゃくちゃ依存してもいます。
朝比奈は、真琴と出会って変わっていく日向を見て嫉妬し、物語の中盤でクーデターを起こして日向を会社から追い出してしまいます。
一方の真琴も、自分が補ってあげていた社交性を日向が身に付けて自立してしまうと、自分の存在価値を見失って引け目を感じ、恋の相手からも身を引こうとしてしまいます。

 そろいもそろって、めんどくさい奴らばっかりですね。
しかし、「補い合うはずの穴が埋まってしまうと、カップルはうまくいかない」というのは、第14回の『不機嫌なジーン』でも取り上げたテーマ。
私たちは、自分のアイデンティティを補完するために、いわば都合よく“依存できる相手”を恋愛に求めているのです。

 そして、現代においてその相手は、必ずしも“恋愛”の相手である必要すらありません。
私たちは、恋をするように仕事することもできるし、仕事するように恋をすることもできる。
まさに“恋愛らしきもの”に突き動かされて、私たちは生きています。

 自我と仕事と恋愛の三角関係を描いた『リチプア』は、私たちがアイデンティティを満たすために生きていること、そして仕事も恋愛も、そのために人生を楽しむレイヤーのひとつにすぎないのだという本質を教えてくれているのです。

Text/Fukusuke Fukuda