だけど、性ってそんなもんじゃない

わたしには肉体の欠損がある。
それ、は、明け透けに言ってしまえば、『夫のちんぽが入らない』(byこだま)である。初めて目にしたとき、わ!わたしのことだ!と思い、喜んで読んで、途中で夫以外のちんぽが入るので投げた(すんません……)。

つい最近までわたしは女性には性交渉に喜びはないと思っていた。そうではないと知ったのはほんの3年前だ。
「セックスをする人は、すごくすごく痛いことを、すごくすごく我慢して、すごくすごく気持ちよさそうに相手に見せていて、本当にえらいよね。本当に限られた人しかできないことだよ」
と言ったら、
「何言ってんの?! セックスなんてねえ、みんな気持ちいいからしてるんだよ!」
と言われた。
女友達のその言葉に頭がガーンとなったのを覚えている。

えっそうなの?! そういうことって気持ちいいんですか? 本当に?!

肉体の痛み。皆が感じないような痛み。医者に検査をされるたびに絶叫する痛み。「君、経験ないの?!」「あります!」「え~! ふっしぎ~!」と言われる痛み(不思議はこっちだわ医者のバカ!)(「大袈裟なんじゃない?」と言った救急の女医!)。

わたしはこの肉体の欠損のために、とかく性的な交渉が男女の親しみや喜びと一致しないまま今日まで来た。
パパもママも弟たちも、親戚のおじさんおばさんも、もしかするとおばあちゃんまで見ているこの場で言うのは恥ずかしいが(いい歳して芸術をやっている人間にありがちだがわたしは大変に周りの人の理解に恵まれているのである)、わたしにとって一番気持ち良いことは、泣いているところをあやしてもらうことだった。

そういえば少し前、とても好きだった人に、「わたしはあなたと付き合わないとできないことをしたい」(それはわたしにとって好きな人に抱きしめられて泣くことだったのだが)と言ったときに、ちょっと「え?」みたいな空気になっちゃってすごく恥ずかしかった。今も撤回したいと思っている。思っているから書いちゃった。

泣いているところをあやしてもらいたい。そのまま抱きしめられて、何も怖くないよ、と言ってほしい。そうだね、世の中には怖いことがたくさんあるけど、君と一緒なら何も怖くないよね。君はあたたかい。やわらかい。少し重くて、心臓の音がする。しあわせだ。大好きだ。この時が永遠に続けばいいのにと思う。
だけどそこで済まないので、わたしは対価として痛みに引き摺られるのだった。

いつしかわたしにとって男女交際とは、殴られるような痛みに耐える代わりに、相手の学業仕事家事以外の一切の自由をわたしに渡すことだと考えるようになっていった。
わたしにとって性とは愛という名の暴力装置だった。

だけどわたしね、なんとなくわかっている。性ってきっとそういうもんじゃないのだと。