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不倫という「凡庸な悪」を前にして、私たちにできること

まだ70年ちょっとの価値観

不倫してる男女の画像 Leah Kelley

まだ私が20代半ばにもなっていなかった頃、世の中に「不倫」をテーマにした小説があまりにも多いことに気が付いて、当時付き合っていた同世代の恋人に、「何でみんな不倫なんかするんだろ?」と疑問をぶつけてみたことがある。
恋人は「さあ、小説だからじゃない? 物語は障害がないと成り立たないけど、身分違いの恋なんてやつもなくなった現代において、最後に残る障害といったら〈不倫〉しかないでしょう」と、なかなか鋭いことをいっていた。若かった私はそれを聞いて、「そうか、あれは物語の世界の話なんだな」と、ほっと胸をなでおろした。

しかしその後、20代後半そして30代と大人になるにつれて、不倫は物語の世界の話なんかでは全然なく、とても平凡な「よくある話」として、そこら中に溢れかえっていることを知る。同時に私は、当時付き合っていたその恋人と別れて、「なるほど、たとえ一時は神にそれを誓っても、たった1人の人だけを生涯ずっと変わらずに愛し続けて、かつ体の関係もその1人としか持たないというのは、なかなか難しいことなのだな」という知見を得た。
特に日本においては、1947年に姦通罪が廃止される前までは、男性に限っては婚外の恋愛・性関係を法的に認めていた。つまり、一度結婚したら男女ともにその配偶者以外との関係を認めないという社会を、私たちはまだ70年ちょっとしか運用していないのである。

現在の価値観になってからの歴史は、実はそう古くない。「ポリアモリー」という形の恋愛をする人たちの存在も知られるようになった今、何十年あるいは何百年後かわからないが、将来またきっと、法も社会も変わるだろう。「不倫は絶対的な悪である」という意見に私は賛成だけど、ただしその前には「2019年の現代においては」と注釈がつく――ということもまた、頭の片隅に入れておいて損はないかもしれないと思うのだ。

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