ストーリー
第一部『楽園の喪失』
ピラール(テレーザ・マドルーガ)は定年後、ストレスに悩まされている。その一つとして、隣人の老婆・アウロラ(ラウラ・ソヴェラル)の世話がある。
常に短気で、突発的に行動しがちの80代のアウロラ。お金ができればカジノに向かい、会ってくれない娘の話を延々としてくる。
ある日、病に倒れたアウロラはピラールとメイドにお願いをする。長く生きられないと悟った彼女は、消息不明のベントゥーラという男に会いたいと言い出す。
願いを叶えるためにベントゥーラを探し、見つけ出したピラールだが……。
第二部『楽園』
若きアウロラの父親は、娘を連れてポルトガルからアフリカにやって来た。
父親は植民地で事業を起こそうとしていたが脳卒中で倒れ、母親はすでに他界している。
一人残ってしまったアウロラは大学の卒業パーティーで夫と出会って結婚し、幸せな日々を送っていた。
しかし、ベントゥーラ(カルロト・コッタ)という男が現れる。アウロラは抑え切れない情熱を彼にぶつけ、互いに愛し合う。
その禁断の恋は、やがて逃避行へとむかうが――。
どうして、現在が『楽園の喪失』なのか
物に溢れて、欲しいものだって何とかすれば大体が手に入る。情報は得ようとせずとも入って来るし、行こうと思えばどこへでも行ける。
こんな現代が、どうして『楽園』を失ってしまったのでしょう。
この映画は「第一部」が35mmフィルムで、「第二部」が16mmフィルムで撮影されている。
「第二部」からは明らかに映像が荒く、まるで記憶の断片のように淡い。ただ、その荒さが二人の情熱を際立たせ、淡さが切なさを盛り立てる。
でも、昔の写真を眺めるような懐かしさとは少し違い、むしろ「第二部」のほうが現代なんじゃないかと思わせる新鮮さに溢れている。
それは、アウロラとベントゥーラの若さと熱さが原因だろう。
男女が愛し合うという古さを一切感じさせないトレンディなドラマのせいで、まるで「第一部」と「第二部」との時間軸が歪む。だけど、それは意図しているように思う。
この二人にとって「第二部」=『楽園』こそが行き着きたい場所であり、彷徨い求めた“死に場所”だったに違いないのだから。
その『楽園』には何もない。
自然の風景だけがあり、時に死と隣り合わせの危険の場所でも、ベントゥーラさえいれば、アウロラさえいれば、お互いにとって『楽園』になってしまう。
しかし、お互い一人で生きている「現在」にその幸せはない。完全に失ってしまっている。
結局過去の話でしかないラブストーリーが残酷にすら思えてくるのです。