音楽とダンスが差別の壁を無くす?
社会的に隅っこに追いやられた二つが団結する。そこに至るまでのプロセスが劇的で、これが実話であることを疑うくらい感動的です。
炭坑労働者のストライキの集会に訪れた“LGSM”に対する白い目がリアル。マークの拙い演説が災いし、退席する人々で溢れ返る。しかし、次第に同性愛者たちの熱意が伝わり、一致団結していくのだから清々しい。
印象的なのは、音楽とダンスが偏見と差別の壁を壊し、心を通わせていくシーン。集会で一人の女性が歌い出し、やがて全員が合唱しはじめる姿に涙を誘われる。
過酷な境遇でも笑いが絶えず、ユーモアを忘れない人々の姿が素晴らしい。これは映画自体にも言える。「カルチャー・クラブ」や「ザ・スミス」など1980年代のヒット曲に乗せて、自由を勝ち取ろうとする物語をポップに描き出す。
その軽快なムードは冷ややかな時代に対して、この映画自体が歯向かっているように見えてくる。それが、政府に抵抗するマークたちの姿と重なるのです。
誇りを賭けたお祭りに訪れる清々しい結末
本作は、多くの女性が物事を進める鍵を握っている。
ステフは青年ジョーを“LGSM”に誘う重要な役割を果たし、シャンは田舎の人々の目を気にする夫を説得し、ヘフィーナは炭坑町全体を取り仕切る。
“男勝り”なキャラクターが勢ぞろい。もちろん、その性は男と女の二つに留まらない。様々な性の形が混じる中で、その明確な意志さえあれば同じ意志を持つ人々は集まり、やがて大きな力になる。
たびたび橋を渡るシーンが挿入されるが、これはイングランドとウェールズを架ける橋。田舎から都市へ、すべての壁が取り払われる時、橋の意味がようやく分かる。
反発する人々を描いただけの映画ではない。小さな町から全国へ、人と人とが分かち合う姿を描くから感動を覚える。
当然のことながら、それは容易くはない。タブロイド紙では「オカマがストに口出し」と書き立てられ、“LGSM”の支援を打ち切るか否か採決がとられる。
それでも、悪評で得た知名度を利用し、ピンチをチャンスにして、資金集めのコンサートを開催する。そのパレードが“プライド”に聞こえた時、それは誇りを賭けたお祭りとなるのです。