その渇きは青春のポエマーを破壊する
美しい少女はバケモノの側面を持っているのかもしれない。彼女の言いなりになる人はいる。間違いすら正しくもなる。その美しさの中に恐怖すら感じてしまいます。
加奈子に片想いをする少年は“ボク”という一人称でナレーションし、いじめから救ってくれた彼女に翻弄されていく過程をポエトリックに語っていく。この詩は青春の片想いにはよくあること。それを真っ向から破壊していく本作がいい意味で性格が悪くて、純粋な少年を闇の世界へ葬り去る描写は逆に清々しくもある。
2014「渇き。」製作委員会
言うならば、青春にポエマーは必要ないってことでしょう。
その美しい少女の裏の顔を、ロクデナシの藤島とピュアな“ボク”の両面で知っていく。この現在と過去の構成が見事で、血みどろの真実に辿り着いていくスリルがたまらないのです。
愛を否定し、何もかもが無くなった時に浮かび上がるものとは
藤島の口癖は「ぶっ殺してやる!」。行き場のない怒りがすべて実の娘に向けられて、その行方を追う姿は全身がまるで刃で出来たように危なっかしい。
そこに愛があるのかと問われると、無いに等しい。ただ、彼が時折夢想するものは無視できない。嘘くさい笑顔と不自然な光に彩られたマイホームCMのような、幸せな家族の風景。藤島は時折そんな夢を見て、その風景を自ら崩していく。乱暴な人間が夢見る姿は切なくなる。
2014「渇き。」製作委員会
まともな人間は1割もいない。そんな状況下、語られるものは決して愛じゃない。だけど、愛含めて全てを失ったときに見える、微かな光というものが本作では描かれている。
藤島はなぜ縁の切れたはずの加奈子を追うのか。残された希望が、絆が、人間としての命綱が、藤島と加奈子の間に薄らと浮かび上がるのです。