10年前は自分もそうだった

男性の“あざとい作戦”に敏感に反応してしまうのですが、とはいえ私も10数年前には、その彼女と同じように「ダーツ凄〜い!ビリヤードかっこい〜」と反応していた時期があったのです。多分。

うっすら記憶をたどるに、その時はまだ大学生になりたてで、ダーツとかビリヤードとか、そういう薄暗いところでする大人っぽい遊びに、無駄に憧れを抱いていました。

だって、初々しい当時の私は、はやく色々経験して“大人”になりたいと常に思っていました。居酒屋ではなくダイニングに行きたがり、チューハイよりもカクテルを飲みたがりました。

知らないということが恥ずかしいと思っており、はやく恥ずかしい女から脱したいと思っていました。

「知らないこと」は楽しむうえでアドバンテージでもある

しかし今、振り返って思うのは、なぜ「知らない」ということを、アドバンテージとしてもっと楽しまなかったのかという後悔なのです。
私はもう、ダーツに行ってもビリヤードに行っても、楽しいと感じることはあっても、感嘆の声を上げることはありません。

心から出る反応は、本来的には嬉しさも恥ずかしさも悔しさも、すべて尊いものなのです。もっと言えば、今この瞬間の私自身が、私にとっては最も尊いはずなのです。

日本の女性は特に“足りないもの”に反射的に目を向ける傾向がありますが、恋愛だってなんだって、不器用な今だからこその味わいがあるものです。
これから経験する初めては(もちろん初めてじゃなくても)、恥も嬉しさもがっかり感も、全部味わっていきたいと思う。

思うんだ…けど、それでもダーツは好きじゃないし、策士な男に浮かれる女には、もうなりたくない。

このスレた感覚も今だからこそと思って味わうべきか。オンナの成長というのは、やっぱり難しいものであります。