世界に存在する痛みに鈍感だった
フランスから帰国してすぐタクシーに乗り込んだ時、行き先が病院だと知った運転手さんが、「僕もいま、鎖骨折れてるんですよ」と言うので驚きました。ハンドルを握る後ろ姿からはまったくそんな風に見えません。運転する分には平気だけど、やっぱりたまに痛むそうです。
少し考えればわかりそうなことなのに、私は骨の折れている人(松葉杖をついたり、車椅子に乗ったりしていない)が街中に紛れて生活しているなんて思ってもみませんでした(まさか私を病院に連れて行ってくれる頼もしい運転手さんまで!)。
思えばまともに運動をしたことがなくて、大きな怪我も体験したことがなかったのに、それで誰かの痛みを予想できるほど、私は柔軟でも聡明でもなかったのです。
街にはいろんな人がいて、それだけさまざまな痛みや苦悩があることも知っていて、私はいつでもそれらと出会った時の心づもりをしているつもりだったけど、自分自身が骨折という衝撃を受けるまでは、世界に存在する痛みについて、いまよりずっと鈍感だったんだと思います。
だいたい、痛みはそんなにやたらめったら私の目の前には現れません。
病院を出て街を歩いても、泣いている人にはなかなか出会わないけど、泣き出しそうなのに平気な顔をして歩いている人とは、たくさんすれ違ってきたはずです。怪我や病気をしていなくても、魚の小骨みたいに、ずっと違和感がつかえている人もいるでしょう。
私にもそういう日があるけれど、骨折をして気が弱くなるまで、そんなことすら時に忘れていたのです。
湯船の中の私の左手は、手の平が上にも下にも完全には向かなくなっていました。ギプスもサポーターも外れてからは、とても骨折しているように見えませんが、左手はその痛みと不自由さを持って、世界に散らばっている痛みと不自由さの存在を思い出させてくれます。
不意にカーテンが開いて、
「それ、よくそうやって超音波を探す人がいるんですけど、お湯の真ん中に患部を置くのが効果的なんです」
という療法士さんの声が降ってきました。
あ、そうなの……。私はぺたぺた超音波を探っていた手を、そっと中央に戻しました。考え事の間に、左袖は少し濡れていました。
療法士のお姉さんに連れられて、リハビリ室に向かいます。左腕だけが気怠く脱力していて、お風呂上がりみたいです。
廊下を不安定な様子で往復している女性とすれ違いました。その先に、バーを掴んで立ち上がる練習をしている人も見えます。
私はというと、リハビリ室の隅っこで、数分間ずつ柔らかいボールを握ったり、ほんの少し重みのある棒を手首で上下させたりすることになりました。
正直、こんな簡単な動作、と拍子抜けしたのですが、いざやってみると右手ではなんともない動きが、左手では思うようにできなくて頭の後ろのほうが冷たくなります。ストップウォッチが3分程度で鳴ってくれなかったら、泣き出してしまったかもしれない。
骨が折れたばかりの時は痛みで動かすどころの騒ぎじゃなかったし、ギプスで固定している時は当然動かせなかったけど、もう固定されていないのに動かないなんて、もしかしたらずっとこのままなのかな。
左手で握っている腑抜けたゴム製のボールが、歯がゆい不安に拍車をかけます。だって、赤ん坊が気まぐれに口に入れるような、やけにふやふやのボールなのです。それすらまともに握れない。
すごく本当に本当のことを言うと、骨を折りたくなかった。勝手に酔っ払って転んで骨折した手前、非常に言いづらいのだけど、本当に。
ボールの頼りない手応えが、そのまま自分の情けなさみたいで悲しい。
骨折した瞬間からありとあらゆる痛みや不安が訪れたけど、私にとって最も恐怖だったのは、骨はもう折れたことのない骨には戻れない、という一点の事実でした。
日常生活では不自由な動きにも慣れてきたけど、リハビリテーションで非日常的な動きに苦戦するとよくわかるのです。自然と痛みを避けるために、私の体には以前なかった癖がついています。骨折する前とは確実に違う人間になっているのです。
取り返しのつかないことをしてしまった現実が、じんわりと胸に迫ってきました。