あの瞬間、私は「家族のこども」だった

 年越しの瞬間なんて、今日が昨日になって、明日が今日になって、12月31日が1月1日に戻って、しかも西暦が一年増えていて(!)、にわかには信じがたい気持ちになります。私に覚悟があってもなくても、清い気持ちになっていてもなっていなくても、いつか誰かが決めた日付や時間によって、強制的に年越しの瞬間は訪れるのです。

 ほとんど混乱したまま浮き足立って、夜明けにようやくやって来た睡魔と眠って、朝すぐに、家族揃ってお雑煮を食べるために起こされるのもよいところです。一緒に遅くまで起きていたはずの母は、もうきちんとした朝の佇まいでお雑煮を並べていて、私だけがぐずぐずと眠たい目をこすりながら食卓につく時の甘ったれた感じも。あの瞬間、私は思いっきり「家族のこども」でした。

 元旦はお昼を過ぎると親戚の人たちが次々と集まってきておせちを食べ始めます。お客さんの中には、同い年くらいの男の子(両親がバイリンガルに育てようとしていた)や、クッキーがいました。クッキーはグレーの柔らかい巻き毛をした小さな洋犬で、ひげを生やしたような顔をしていました。いつも飼い主のおじさんにペッタリとくっついていて、おじさんの言うことだけを、よく聞きました。

 男の子はまだこどもで、私もまだこどもでした。両親から日本語の後に英語でもう一度同じ言葉を聞かされる決まりなので、咄嗟に叱られた時も英語でまた叱られて、しばしばうんざりした態度をとっています。私の家には英語も犬もなかったので、毎年、奇妙な気持ちになりました。

 お腹がいっぱいになって、意味もなく目の前にあるカニの身をほぐしたり、手を拭いたりしているうちに冷静になってしまって、次第にこれが何をしていればよい時間なのかわからなくなります。そもそもいまの時間が退屈になりつつある自分に気づかないようにしながら、おじさんたちがビールを飲んでぞろぞろ笑ったり、祖母と母が台所とテーブルを忙しなく行き来するのをぼんやり眺めていました。
本当はなんでもないただの一日。でも特別な日。