そもそも“普通の恋愛”とは何か

好きな人ができたのでお付き合いしたい、なるべく普通の手段で。というご相談ですが、まずはお付き合いしたいと思える人に出会えたこと、おめでとうございます! すばらしいことですね。そういう気持ちをもう長らく抱いていない、そしてこれから先も抱ける気がしない、メンタルまで引きこもり気味の私からすると、これほど羨ましいことはありません。ぜひとも成就させて、人生をより豊かにしていただきたいです。

でも、なんか違和感があるんですよねー。その正体を探るため、ちょっとだけ立ち止まり一緒に考えていただきたいのです。
私が抱いた違和感、それは“意中の人とお付き合いしたい”という気持ちと“普通の手段でお付き合いしたい”という気持ち、これって別物なんじゃないの? という点です。

つまり、今までビッチとして生きてきたゆうかさんには、意中の人と両想いになりたいという思いとは別に、“普通の恋愛”への憧れ、あるいは“普通の恋愛”に不慣れだという劣等感があるのではないでしょうか。

尊厳を持って楽しくビッチライフを謳歌しておられるゆうかさん、24歳。すばらしいことですね。とはいえ、ゆうかさんはベッドには誘えてもデートには誘えない自分を、恥じてもいる。だから“普通の恋愛”をしてみたい、できなきゃヤバいと焦っているのかもしれません。

ゆうかさんも、聡明で麗しいAM読者のみなさんも重々承知とは思いますが、ビッチであることそれ自体は、世間のイメージに反してなんら悪いことではないということはまず踏まえておきましょう。ご自分の心身が健康でありさえすれば、性愛のカタチに正解も不正解もありません。

意中の人と気持ちが通い合いさえすれば、そこへ至るまでの手段やルートなんてものは人と場合によって千差万別。言ってしまえばどんな邪道だっていいわけです。