インスタントな手段では寂しさを「埋める」ことしかできない
寂しい夜。ふと家電の音が優しく感じられたりしませんか?
しんと光る台所にふとんを敷いた。ライナスのように毛布にくるまって眠る。冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。
ああ、わかる……と思った方、いるんじゃないでしょうか。文章は吉本ばなな『キッチン』からの引用です。1987年、つまりアラサーの我々が生まれたころに誕生したこの本が妙に沁みるのは、私も年を取ったからでしょう。
1987年の寂しい夜には、紛らわす手段もありませんでした。固定電話で家族に迷惑をかけるわけにもいかず、それこそ冷蔵庫の音に耳をすませるくらいしか処方箋もなく。
それから約30年。寂しい夜のお供は格段に増えました。TwitterやLINEに、没頭できる乙女ゲーム。時には女性向けのアダルトビデオまで、寂しさを「埋める」ものは増える一方。
それなのになぜ、寂しさを「満たす」のはこんなに難しいのでしょうか。
寂しさは嵐のように襲ってくる
寂しさは少しずつ溜まるもではなく、嵐のようにどっと襲い掛かってくる感情です。一度寂しさがやってくると、自分ではどうしようもなく感情に翻弄されます。しかし、大抵の嵐は30分以内に過ぎ去ります。嘘だと思うなら、1度ストップウォッチ機能で計測してみてください。
パニックを起こして寂しさを埋めようとせず、じっと堪えていれば収まるのが寂しさの正体。それこそ吉本ばななの『キッチン』に出てくるように、冷蔵庫の音を聞いて堪えるのは正しい対処法だったのです。
でも、予告なく襲い掛かってくる承認欲求をいなすのも簡単ではありません。たとえ30分で過ぎ去るにしても、1人で堪えるにはあまりにも怖い、強すぎる感情だからです。
ではなぜ、こんな風に寂しさは襲い掛かってくるのでしょうか? それは「昔の自分が感じていた寂しさが、フラッシュバックしているから」かもしれません。
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