自由を謳歌する覚悟
私は新宿で一人暮らしをしていて、 好きな時に女装をして、 ふらふらっと出かけることができます。
東京で伸び伸び暮らしやがって、好き放題できてイイね。 なんて言われることもありますが、それなりに代償も払っています。
まず、私はとてもよく働きますし、情報収集や交流で外に出ますし、健康維持でスポーツクラブにも行くので、睡眠時間は4~5時間くらいです。
体調を壊すのが怖いから、結構な量のサプリメントも飲んでいます。
まる1日のお休みが2週間くらいないこともよくあります。 そういった上で自由に女装をすることができるのです。 水面下はバタバタしていますが、事実好き放題やっているので、人生を謳歌しているかと聞かれれば、多分謳歌しているという部類に入るのでしょう。
でも謳歌する際に考慮していることがあります。 それは自分の自由を他人に強要しないことです。 世の中には自由を謳歌できない境遇の人もいます。 そして、私の自由は自由をがなかなか手に入らない人のフラストレーションを高めていることが往々にあるのです。
質問という名の叱責
たまに地方へ仕事に向かうと、
そんなに伸び伸びやってるけど、 親はどうなの?
慶應まで行った子供がこんなに女装をしていて泣いてるんじゃないの?
なんて質問をされます。
私はにっこりそうですね。とやり過ごしますが、ああまた私に対する叱責だ、と思っています。
家族のために自分のやりたいことを我慢してきた人達から、自分勝手な私への叱責です。
その度に私の存在はそういう人達のフラストレーションを高めているのだと自覚します。
けどこっちももう20年もずっとそのことを考え続けていて、それに対する理論武装はできています。
この人は自分ができなかったフラストレーションを私にぶつけている。彼らもそうしたかったけど、できなかったからだ。
自分は自分の生き易い環境で、自分の力を発揮することが生を与えてくれた神様への恩返しだと思っている。
そのことに向き合っているだけだ。
ということです。
それを言うと正しさと正しさの戦いになってしまうので、黙ってやり過ごします。
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