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  • 2017.10.21

オジサンからの搾取に怒っていた頃に出会った、癒し系のオジサン

イベントを主催して脱いだり、ゲストに呼ばれて脱いだりしていたあの頃、体を張らずにわたしの体で儲けるオジサンが許せなかった……。エロの仕事をする自分を認めてくれるパートナーを探し続けた、大泉りかさんの闘争の記録は続きます。

オジサンに中間搾取されることへの怒り

黒いレザージャケットを着た髭をたくわえた男性の画像
by Tookapic

 先週話した、付き合っていた男性が香港に去ってしまった後、しばらくわたしは独り身で過ごすことになりました。が、さして寂しい気持ちがなかったのは、毎週末、仲のいい女友達と男友達が金曜の夜から月曜の朝まで泊まり込んでいたからです。

 その頃、就職したのをきっかけに、「一緒に住んでいると、いつ帰ってくるかわからなくて、心配で眠れないのが嫌」という理由で母親に自宅を追い出されたわたしは、同タイミングで家を出された弟とともに、親戚の持っている都心のマンションで二人暮らししていました。当時の給料は保険なしの手取りで18万程度でしたが、親戚の物件ゆえに家賃も格安で、贅沢は出来ないまでも、酒は飲める程度の生活ではありました。脱ぎ仕事の収入もわずかながらありましたし。

 毎週末、家に泊まりに来る友達は、渋谷にあったフェティッシュバーで知り合った子たちで、ほぼアル中のストリッパーや、自称M男のサラリーマンなど、まず属性を表すときに性的な記号が前に出てくる人々。その子たちとわたしは当時、『ピンクローターズ』という最高にセンスがあるのかないのかわからないユニット名で、新宿のトークライブ居酒屋であるロフトプラスワンや、当時は渋谷で開かれていたフェティッシュなサロン『デパートメントH』などを中心に、イベントを主催して脱いだり、ゲストとして呼ばれて脱いだりといった活動をしていました。

『ピンクローターズ』を作ろうと思ったそもそものきっかけは、SMショーに出演すると時折抱いた違和感でした。つまり、SMショーに呼ばれる際に、どうやら二種類の場合があることに気が付いたのです。

 ひとつは、バーやキャバクラ、劇場といった箱から直接呼ばれる場合。そしてもうひとつは、イベントの主催者(それはだいたいキモい中年の男性でした)のセッティングで呼ばれる場合。前者については何とも思いませんでしたが、後者については非常に面白くありませんでした。体を張っていないそのオジサンに中間搾取されるのは、どうしても気に食わなかったのです。

 もちろん、興行にプロデューサー的存在がいるのは当然のことでもあるし、そこに対してお金が発生するのも当然です。けれども、当時のわたしはどうしても「よく知らないオジサンがわたしの裸で儲ける」ということが、腹立たしくて仕方なかった。
こうして、「自分たちで好きに出来るように」という思いから結成されたのが『ピンクローターズ』というユニットです(これはあくまでもわたしの思惑であって、他のメンバーはそれぞれ別の考えがあったと思います)。

酷い仕事のなか出会った彼

『ピンクローターズ』は女性4人、男性2人のグループで、具体的な活動内容としては、ステージでSMをしたりキャットファイトしたりストリップをしたり、時には男性客を無理やりあげて脱がせてフェラチオなんかもしていました。当時はまだ、石原元都知事が行った“歌舞伎町ルネッサンス”とよばれる浄化作戦前で、局部をモロに曝け出しても今よりは許される雰囲気がありました。なのでわたしたちは、まさに素っ裸になってあちらこちらで暴れくるっていたのでした。

 こうして『ピンクローターズ』という看板を掲げたことで、いろんなところから直接仕事に誘われるようになりました。ストリップ劇場でのキャットファイトや、雑誌のパンチラモデル、スナックでの野球拳要員といった脱ぎ仕事です。

 吉祥寺のあるスナックへの出演のオファーもそのひとつでした。それは、引き受けたことを後悔するような、ちょっと酷い仕事でした。SMショーの出演だったのですが、いつもの緊縛師がパートナーではなく、そのバーに勤めている黒人男性がS役を務めたのです。

 筋骨隆々の肉体にすべすべの褐色の肌と、見栄えこそいいものの、その黒人男性のプレイは非常に雑だった。もちろん、流血するような乱暴なことをされたわけではありませんが、すべてが不器用で大雑把。「なんでこんな仕事を受けてしまったのだろう」と考えていると、スナックのママに、客席に出てお客さんの接客をするようにと言われました。ホステス役もさせられるんかい! と心の中で毒づきながらも、言われるまま、その店の常連だという四十代半ばの男性の席に座って接客していると、意外と話が盛り上がりました。

 その男性の職業はCMのプロデューサーだということでした。身なりもそれなりにきちんとしていて、不快感は持たなかったので連絡先を交換しあい、後日、食事に行くことになりました。口説かれるだろうと覚悟していったのですが、ただわたしの話を面白がって聞いてくれるだけで、あわよくばワンチャンを狙っているような雰囲気がなかったことに、わたしは好感を持ちました。

 美味しいご飯をご馳走してくれて、わたしの話を面白がって聞いてくれる人。一人暮らしを始めたばかりのわたしは、なんだかんだといっても、やはり寂しかったんだと思います。いくら毎週のように友達が遊びに来てくれても、わたしを理解して愛そうとしてくれる人がいないのは、やっぱり寂しかった。だから、ある時、彼と食事をした帰りに言いました。「付き合ってもいいですよ」と。

 思えば、彼に口説かれていた記憶はないのですが(苦笑)、わたしは傲慢にも、ちょうど20歳上の彼は、若いわたしとなら当然付き合いたいものと考えていると思っていたのです。搾取してくるオジサンに憎しみを持ちながらも、一方ではオジサンに癒されるというダブルスタンダードの始まりです。


次週に続く


Text/大泉りか

次回は<「何者かになりたい」から脱ぐ私を受け入れる20歳上の彼。でも結婚は考えられなかった>です。
年上男性の魅力は包容力。24歳当時、「世の中に出たい」という思いを抱え、人前で脱ぐ仕事をしていた大泉さんを受けとめたのも、20歳年上の彼の包容力でした。しかし、その彼と結婚する気持ちは湧きません。その理由は……

ライタープロフィール

大泉りか
キャバ嬢、SMショーのM女、ボディペインティングのモデルなどの経歴を経て、現在は官能小説家、ライトノベル作家。
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