SNSで再確認させられる「合わなさ」

 なぜヤってしまったのか。自分の心を静めるために、その経緯を思い出すことにしました。
ひとつには、見た目が好みだったというのがあります。顔面にポーッとなって、内面まで目がいかなかったということ。それ以外だと、あちらが全力で口説いてきて、それに応えるかたちでセックスをした相手、さらには、たまたまその時、とてもさみしくてつい揺らいでしまった人……こうして考えると、ひとつの共通点が炙り出されてきました。

 それは、「しっかりと中身まで知って好意を持った人」ではないということです。事後、「ヤっちゃったはいいけど、ちょっと違う気がする……」とフェイドアウトした後、本来だったらもう二度と関わりを持たなかったはずが、SNS時代ゆえに再びつながってしまって、その「合わなさ」を延々と目にすることになる。FBの投稿によって、「きちんと付き合うに至らなかった相手には、それなりの理由があった」ってことがはっきりと再確認出来てしまうわけです。

 相手を知れば知るほど、どんどんと嫌いになるだけなので、SNSでつながり続けるのは、きっぱりとやめたほうが精神衛生的にいいとも思うのです。しかし一方で、そういう人を見て、「わー、嫌なヤツだなー(笑)」って確認したいわたしもいる。これって優越感なんでしょうか……あっ、ひょっとして、冒頭の医者になった彼も、四十路にもなってシモのことばっかりのわたしのツイートを、せせら笑って、優越感を感じているのかもしれません。自分のことは棚にあげて、だったら悲しいなぁ。

Text/大泉りか

次回は<「ノーブラの生徒がいて集中できない」!?好きな服を着るために闘った高校時代>です。
ポニーテール禁止、ブラジャー禁止という校則に非難轟々の昨今。私服登校で校則のゆるかった大泉りかさんも、90年代半ばのコギャルブーム全盛期に、自分の好きな服を着るべく親や学校と闘った過去があったそうです。