「ただ生き残ってくれることが力になる」体を張って取材する女ライターの道

 2000年代の初めから中盤頃だったでしょうか。下世話な取材記事を得意とする女性ライターが、多く活躍していた時代がありました。

 その舞台は主にアンダーグランドな裏ネタを扱った男性誌の誌面上。そこには、体を張って取材を敢行する女のライターが何人も存在していました。

「何が書けるか」よりも「何が出来るのか」

大泉りか 人妻は不倫の夢を見るか?

 わたしもそのひとりでした。
いや、「そのひとりに混じ入ろうとしていた」といったほうが正しいかもしれません。
中途半端なお嬢様女子大に通って、それなりには青春を謳歌したものの、最終学年となりモラトリアムに別れを告げるべく就活を始めると、世間は超氷河期と呼ばれる就職難の時代。

 わたしの志望はマスコミ業界だったのですが、大手はもちろん中堅クラスであっても、出版社に正社員として就職するには、わたしの通っていた大学からでは、なかなか難しいという現実にも、就活を始めてから気が付いたのです。

 けれども、わたしがなりたかったのは、編集者ではなくライターでした。
編集プロダクションに所属する、もしくはフリーランスでやっていく道だってある。
就職活動とライターとしての営業活動を二本柱でやっていくことに決めたわたしは、あちこちで会うマスコミ関係者に「ライターをやりたいんです。お仕事をください」と触れ回るようになり、そして開かれた門戸が、その頃ちょっとしたブームであった体験系ライターという仕事でした。

 文章に関してはド素人でしたが、もともと、SMショーのM女をしていて言うなれば「脱げる若い女」であったせいか、ちらほらと仕事は入ってきました。

 文章は編集がリライトすれば、体裁を整えることが出来る。だから、むしろ大切なのは、「何が出来るのか」ということでした。