『病人は看病すべき派』の人と付き合ってみた

 しかし「相性が悪い」のに、お付き合いをすることになってしまうこともよくあることで、『病人は看病すべき派』の人とお付き合いしたことが過去にありました。

 とはいっても、体調が悪くて寝込むのなんて、健康な人なら年に数回もないこと。
相手が看病を望むのなら、一冬に一度か二度くらい、予定をキャンセルして看病してもいい……と考えるくらいの優しさと柔軟性はわたしも持っています。
しかし、その恋人、付き合ってみたら「1年365日のうち、360日くらい具合が悪い」タイプの人だったのです。

 その具合の悪さは多岐に渡っていて、身体を使った仕事をしているので「腰が痛い」と「疲れている」はデフォルト。万年の疲れの蓄積からか、異常に風邪をひきやすく、虫歯を放置しているので、奥歯はボロボロ。ふくらはぎには謎の肌荒れがあり、偏頭痛に悩まされて、かつ不眠症まで患っていたのでした。

 しかし「病院に行けば?」と勧めても、なぜか頑なに行こうとしない。「なぜ病院に行かないの?」と尋ねても「薬を飲むから大丈夫」と突っぱねるもんで、こっちとしては「それくらいの具合ならば」と自分の予定を優先してもいいと判断するわけです。すると「なんで彼氏の具合が悪いのにほっつき歩くの?」と機嫌が悪くなる。

 それでも、本人が病院に行かないという選択肢を取っている以上、看病する筋合いはないというのがわたしの考えでした。が、とある日をキッカケにわたしはその考えを改めることになったのです。

(後編につづく)

Text/大泉りか

次回は<私の電話は『119』?看病をお願いすることは限りなく束縛に近い(後編)>です。
前回に引き続き「恋人の看病」の話。今回は「看病という名目で行っていた行為が次第にエスカレートしていくと「束縛」へと姿かたちが変貌していくのか?」について。知らず知らずに恋人の存在が119番と同じようになっていたりしませんか?依存・束縛の危険性はこんな所にも潜んでいるのかもしれません。