価値観という自分のなかの羅針盤
俺は<価値観>というものを深く捉えるべきじゃないかと思う。
個人は価値観に支配されているからだ。
自分の考え方/言葉/行動は価値観をベースにしている。
たとえば俺は学生時代は人間性がクソでも”面白い人”が大好きで、いわゆる”ただのいい人”に興味はなかった。
でも、社会人になってから”いい人”というのはそれだけできちんと接するに値する大事な存在なんだなぁと思うようになった。
その背景には自分のなかの大事なもの、価値観の遷移がたしかに在った。
以前に<過去の恋愛とか世間の価値観とはちがう、自分のなかの判断基準をまずはしっかり決めるということ>の重要性を書いた。
同じ意味だと思ってもらっていい。
“価値観が合わなかった”は恋愛の終わりに腐るほど出てくるフレーズだけど、やはり真実だと思う。
にも関わらず、恋愛の始まりにそれを意識する人はびっくりするほど少ない。
トキメキ/状況/条件に目が眩んでしまっている。
自分自身が「何を差し置いても良いから、ここに価値を置く」という決定が出来ていないからブレていくし、迷う。
価値観で物事の捉え方は変わるけれど、自分の価値観自体がブレていたとしたら?羅針盤のない海賊船のようなもんだ。
ここで具体的な話に落とし込みましょう。
いまの俺の価値観では最高のパートナーは<自立している人>であり、<相手の気持ちをおもんばかれる人>であり、<彼女の楽しみに俺自身も刺激を受けてしまう人>というもの。
たとえば言い合いになっても、彼女が俺の気持ちを推し量りながら語りかけている様子を見れば、それが自分の意見と違っていても、伝えようとしている何かを尊重しようと思える。
個々の問題自体は関係を決定的に傷つけるものではない。
また、彼女の趣味が何であろうとその対象自体はどうでもいいわけです。
彼女がどういう部分にワクワクしているのか知りたくなるのです。
だから彼女に飽きない。