人のあら探しばかりしていない?
子供おばさんは、素敵な女性に会うと、相手のあら探しをします。
「美人だけど、隙がないからモテないんじゃないかしら?」「結婚して幸せアピールをしているけど、あんな旦那さんなら私はご免だわ」など。
逆に大人女子は、素敵な人を素直に認めます。そして、その魅力が身に付く秘訣を相手に聞いたりします。
「肌がすごく綺麗だけど、化粧水は何を使っているの?」「夫婦円満の秘訣はなに?」など。
その結果、子供おばさんはますます残念な女性になり、大人女子はさらに魅力的な人になっていきます。
人が魅力的だと、不安になる?
どうして子供おばさんは、すんなり相手の素敵なところを認められないのでしょうか?
それは、悔しいからです。相手を自分と“同じレベル”だと思わないと、居心地が悪いのです。そう思わないと、自分の劣等感が増してしまうのです。
では、相手の欠点を見つけて、自分と“同じレベル”だと思うことで、実際に劣等感は増えないのでしょうか?
逆です。ますます劣等感は増します。
まず、そんなことを考えている自分の心がスッキリ爽快!になるわけはなく、心のどこかで自分を「イヤなヤツだ」と思い、自分のことをさらに嫌いになってしまうからです。
つまり、劣等感を刺激しないように心で相手をけなしておきながら、結局はさらに劣等感を増やしているのです。
美人もそうではない人も、平等に幸せになれる!
子供おばさんがわざわざあら探しをして、相手のレベルを下げようとしなくても、全ての人はある意味、平等です。でもそれは、ルックスや地位、名誉などが平等という意味ではありません。
「幸せになれるための条件」は、誰もが平等に持っているということです。「幸せになるか否か」という“人生のスケール”で見ると、誰もが同レベルの条件なのです。
欠点があるからこそ、人はそれを直したり、どうしても直らない時は補う魅力を身に付けたりします。その結果、むしろその欠点があったことで実現する、幸せな出来事だってあるものなのです。
「今の自分の状況をどう生かし、どう変わるのか」次第で、自分の人生はどんどん好転していくのです。
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