「好き」ってなんだっけ。
前々から実は疑問に感じていた。どういう気持ちの状態だと「好き」なんだったっけ……
もちろん恋人にその二文字を伝えることはあるけれど、スキンシップとして使っているところがある。「好きだよ」と言葉にして伝えることで恋人同士の信頼感というか結びつきがより深まる気がするし、相手を安心させられる。手段としての「好き」。
けれども「本当に好きなの?」と問われると空いた口から言葉が出てこなくなってしまう。
好きってそもそも一体なんだ? 何がどうなってると好きって言えるんだ?
好きな男への「好き」は…
私は今まで散々いろんな男を追っかけてきて、チャンスがあれば「好き」と伝えてきた。そのチャンスっていうのは、恥を偲んでいえばセックスの最中のことなんだけど。
散々追いかけてきた男のことは確かに「好き」と言える状態だったと思う。誰がどう見たって、私はいつも好きな男のことばかり考えていたし好きな男のことばかり話していた。付き合っているわけでもない男の惚気を友達に会えば四六時中していた……。
好きな男に対して「好き」と伝えたいのは、付き合いたいからだ。
付き合うためには好意があることを伝える必要がある。付き合いたいから「好き」だと伝えなければいけない。
ということはこの「好き」も要するに付き合うための手段なのだ。
付き合うことがゴールなのだから、ゴールを達成できてしまえば「好き」の役目は終わる。
そもそもどうして私は今までの男たちのことが好きだったかと言えばそれは、顔が好みだからorセックスしたから。大体その2つが理由になりがちである。
恋心ってもっと純白で純潔なんじゃなかったのか、子供の頃に抱いていた理想とは随分かけ離れているなぁと今ふと思う。
子供の頃は純白だった
子供の頃もよく片思いをよくしていたっけ。
セックスというものをまだ知らなかったから性欲も無かったし、好きな人と付き合う発想が無かったから、「好き」という感情がただひたすら宙に浮いていた。でもそれでよかった。子供の頃していた片思いがなんだか美しくて純白なものに思えるのは、所有欲とか独占欲とかそういうものがまだ芽生えてなかったからなんだと思う。
ああなんて混じり気のなく清らかだったんだろう?
いやいや。そんな純白だった子供の頃も人を好きになる動機なんて「足が早い」とか「顔がかっこいい」とかそんなものだった。
今も昔も変わらず私は単純だったし、もしかして恋ってそういうものなのかもしれない。別にそんな崇高なもんじゃない。映画と現実は違うんだ。
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