「クリスマスプレゼント 彼氏」と検索しそうになるけど、そこに答えはない

いよいよ今年もクリスマス。毎年のことながら、1年はあっという間だ。
クリスマスといえばイルミネーションやらケーキやらいろいろあるが、プレゼント交換が個人的には外せない。

最近、プレゼント選びに頭を悩ませるようになった。
プレゼントっていうのは、相手の趣味を把握してさりげなく日々のやり取りから今何が欲しいのかを探る。センスが最も問われるといっても過言じゃない。
人から貰うものはなんだって嬉しいけど、「今まさにそれを求めてた!」を引き当てられたときの喜びといったら。
だからこそ、相手が特別であればあるほどそれを引き当てたい。
だって喜ぶ顔が見たいんだもの。大事に使ってくれてるところをさりげない日常の中で発見したいじゃないか。己のセンスの良さを確信できる瞬間でもある。

去年のクリスマスにはヘマをした

私も以前はプレゼントを贈るのが好きなほうだった。
去年の冬、晴れて人生で初めてきちんとしたお付き合いができる相手に恵まれ、人生で初めての恋人とのクリスマスプレゼント交換を経験することとなった。
当時の私は己のセンスを過信していたので、プレゼント選びにも根拠のない自信を持っていた。

そんな中、私が恋人にあげたのは“良いパジャマ”だった。
肌身離さず身につけるものといえば財布なんかが定番だが、当時の私は贈り物としてのパジャマになぜだかこだわっていた。夜寝るとき必ず着るものだし、良い生地に身を包むというのはイコール私の愛に身を包まれている、これこそ愛だ!みたいな、なんかそんな理由だった気がする。
しかし私は最大のヘマをした。サイズを誤ったのだ。
それどころか、恋人はボタンのある前開きタイプのパジャマは趣味ではないということも判明。せめてサイズが合っていればよかったのに。
しかも洗濯を重ねるごとに生地はどんどん触り心地がごわついていく始末。結局、パジャマは今私が着ている。

サイズもデザインも間違えたとて、そこに本当の愛が込められていれば彼氏も我慢しながら着てくれていたんじゃないかと思う。
なぜかといえば、正直に打ち明けると、この“良いパジャマ”はふるさと納税で買ったものだった。
「恋人への良い贈り物をしながら節税もできる。完璧じゃん!」
私は愛よりもコスパを重視してしまった。

反対に、恋人からのクリスマスプレゼントは完璧だった。
彼はいつも日頃から私を笑わせるために色んなことをしてくれる。私が「なんでそんなことするの」と聞けば、「君を笑わせたいからだよ」と必ず言う。
決定的な違いを述べるとするならば、彼の頭の中には私がいる。私に何をしたらどんな顔をするのかを想像することができる。
しかし私の頭の中には私がいるのだ。自分のことしか考えていない。