“少女”と“老婆”に引き裂かれた
こじらせ女子の自意識問題

「ハウルみたいな男が好き」という女性は、少なからずこのソフィーのような一面を持っていると思います。
つまり、「私なんかきれいじゃないし…」という女としてのコンプレックスから、自分を否定する自己暗示をかけてしまっているのです。

 ソフィーが荒れ地の魔女にかけられたという“老婆になってしまう呪い”とは、まさにこの“自分を否定してしまう自己暗示”の比喩にほかなりません。

 その証拠に、ソフィーは愛するハウルに尽くし、“女としてあるべき理想の自分”というプライドを保てているときだけは、少女の姿に戻っています。
しかし、女としてのコンプレックスを感じ、「どうせ私なんて…」と思っているときは、女のステージから下りた老婆の状態に返ってしまうのです。

 問題は、ソフィーにとって“ハウルの都合のいい女になること”が、“女としての理想”とイコールになってしまっていること。
老婆の呪いもやっかいですが、今、多くの女性を苦しめているのは、この“少女の呪い”のほうなのではないでしょうか。

 だめんずは、自分のダメな部分を相手の女性に背負わせて、代わりに「僕といるときだけ、君は“少女”でいられるよ」という甘いごちそうを与えます。
だから、一度だめんずを好きになってしまうと、逃れるのが難しいのです。

 世に言う「こじらせ女子」とは、女としての評価や理想に縛られた“少女”の自分と、女のプライドや自尊心を捨ててありのままの自分を肯定できる“老婆”の自分、ふたつの自意識に引き裂かれた女性のことだ、とも言うことができると思います。

 そう考えると、ジブリアニメでは“少女”と“老婆”に二極化した女性ばかりが活躍することも、その中で特に『ハウルの動く城』の男性キャラが理想の第一位に選ばれたことも、すべては必然のような気がしてくるのは、考えすぎでしょうか。
ジブリアニメ、おそるべしです。

「ハウルが一番好き」と思った人は、もう一度よく考えてみてください。
ひょっとして、あなたがハウルだと思っている男性は、実はあなたのことを都合よく扱っている“だめんず”ではありませんか…?

※次回は、人気投票第2位だった『となりのトトロ』の草壁タツオ(サツキとメイのお父さん)がテーマです、お楽しみに。

Text/福田フクスケ

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